娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

事件とその後の経過 (2)

 

 2017年9月に入り,私どもから提出した労災書類の中に「救急車が呼ばれなかった」と記載していたことに対し,指定管理者からクレームが入ります。「救急車を呼ぶほどの状態ではなかった」と。受け入れられる話ではないので,私から反論文書を送りました。10月に入ってからは,指定管理者の代理人(弁護士)が登場し,児童館職員の対応は適切だったとする書類が届けられました。そこには児童館長が新たに作った資料も添えられていましたが,7月時点でも疑義のある書類を出す人が,さらに時間が経った10月になってまともな資料を作れるとは思えませんし,娘の記憶と反する部分が多いので受け入れられるのものではありません。ただ,このままやり取りを繰り返すのは得策ではないと考え,いずれ同じテーブルに付く時期が来るのだから議論は先送りにと提案し,これに代理人も応じたので,救急車を呼ぶ・呼ばないのやり取りは,一旦収束されることになります。

 なお,このやり取りの中で,本来は事件直後に労働基準監督署へ提出しなければならない書類が9月になってから送られるなど労災書類が全般的に滞りがちなので,迅速な処理も申し入れています。代理人は「慣れないので」と記していましたが,多くの福祉施設を運営する組織が,この程度でオタオタするわけないだろうという疑問は残ります。指定管理者に対する不信感はさらに膨らむことになりました。

 9月中旬に,娘が「神戸市犯罪被害者等生活資金助成申請書」を提出し,翌年1月に助成金を受け取っています。神戸市がこうした制度を持っていることに先進性を感じましたが,児童館担当のこの時点までの犯罪被害者である娘への対応は,そうした制度の趣旨に見合うものには思えないわけで,大きな組織の中での理念は末端には届いていないのだろうな,と考えざるを得ませんでした。
 10月になると,警察署から私に電話があり,加害少年を児童相談所(神戸市こども家庭センター)に通告したとのことでした。加害児童の行動に対する犯罪性(触法性)の確認,それに伴う法的措置がされたということになります。

 加害少年の行動に犯罪性(触法性)が確認されたにも関わらず,事件発生からこの時点まで,事件のことが世間に知られることはありませんでした。それに対して疑問を持った娘は,以前から知る犯罪被害者家族の紹介で新聞記者に接触する機会を得,事件のことを説明する機会を持ちました。加害者が少年であることや娘自身の将来を考え,事件現場を兵庫県内とし,自身の名前も伏せた形で記事作成を進めてもらいました。

 取材してもらった記事が,12月19日に掲載の運びとなりましたが,地元・神戸新聞が事件現場を神戸市内と特定して報道したことから,神戸市役所の課長が記者会見を行ないます。しかし,少年が使った凶器は柔らかいとか,加害児童の暴力行為が発達障害に起因するというような説明があったことから,翌々日の21日,娘と私は神戸市役所の発表内容が疑問だらけである旨の記者会見を行いました。これまで一度も姿を見せることのなかった神戸市役所は,この時から被害者にとって敵対的立場であることが鮮明となり,彼らの虚偽の発言に対する不毛な時間が増えることになりました。

 年が変わって2018年に入り,2月下旬に指定管理者から雇用契約の更新に関する面談申し入れの文書送付があり,断る。

 この頃,娘は人を介して市会議員と接触する機会を得,議員は3月22日の神戸市会常任委員会でこの事件に関する質問をされ,担当部長が答弁しています。被害者側が納得できる話は聞かれませんでした。というよりも,頼りない情報をもとに被害者の存在を軽くしかみていないその姿勢に腹が立つばかりでした。ご支援いただいている議員さんには,その後の市会でも取り上げていただいています。

 この議会後の3月28日,神戸市担当課と弁護士による相談が行われています。

 以上の経過を踏まえたうえで,5月10日と24日の2回、娘と私の連名で神戸市長宛に「質問状」を提出し,6月15日に回答にあたる文書をもらいましたが,発信者は市長ではなく担当課で,しかも代表者名も公印も付されていませんでした。もちろん,回答内容も質問に「誠実に答えた」というものとは程遠いものでした。

 ちょうど同じ頃,神戸市会が開会されていたのですが,神戸市側の答弁の内容に3月とは異なる姿勢が見られました。3月は12月以降の姿勢のまま,それまでの姿勢で乗り切れるという対応に見えましたが,それと比べるとだいぶ慎重な姿勢がうかがわれるように感じられました。最も基本線を変えるような生易しい相手ではないのですが。

 以上のような経過が,事件以降の主な流れになります。前回も含めてここに記した詳細は,これから整理しながら記していきたいと思います。