娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

方向転換できなかった神戸市役所

神戸市記者会見が明らかにしたこと④

 前回,児童館指定管理者と神戸市の間でどのように「事故」現場を確認していったのかを記しました。彼らの検討の中では,明確な暴力行為を行なった少年や,既に片耳が聴こえにくくなっている被害者のことを慎重に考えることはなかったようです。

 入院中の娘に児童館から掛かってきた唯一の電話の中で,加害児童は児童館に「出入り禁止にした」と説明があったそうですが,本来であれば少年法に基づく保護や指導の対象としての措置が必要だったのではないでしょうか。児童館作成資料の中でもそうしたことは見られず,世間に放逐しただけで終わっています。療養している娘の症状が確認されることもありませんでしたので,郷里から帰れば「すぐに職場復帰できるレベルのケガ」程度の認識しかなかったと思います。

 しかし,事態を重く受け止めていた被害者から被害届が出され,警察による調査が進められることになります。それは,市や指定管理者にとっては想定外のことだったはずです。6月28日に私と娘が指定管理者との面会に際し,「事故ではなく事件なので,警察の調査に協力を」という話を切り出した時,指定管理者側の方々に虚を衝かれたような反応が見受けられたのは,自分たちが描いたシナリオにない話,それもかなり重い話が出てきたからだと推測しています。

 この場での話は,私がほとんどを主導したと思っていますが,この面会の中で指定管理者側から主体的な発言があったのは,「加害児童は発達障害」と「バットはプラスチック製」の二つでした。この二つの言葉が,この後の市の対応の中で問題視されるキーワードになっていきます。

 被害届の提出は,神戸市役所にとっては,自らの取組みについて再考する=「検証する」チャンスだったと思います。しかし,彼らはそれをしませんでした。つまり警察による捜査が始まった後も,指定管理者と用意していた「大したことではない」との結論を維持することにしたようです。12月の新聞報道の日に急遽記者会見したのも,6月5日に確認したものを守るためのものといえます。それゆえ,記者会見資料のタイトルも「事件」ではなく「事故」としなければならなかったわけです。

 展開が変わる前の視点で書かれた資料にこだわり,それに合わせた姿勢を取り繕っていくことを選択した,といえます。公の存在,公務にあたる者は,より広い視野に立ち,より多くの情報をもとに,住民(納税者)に納得してもらえる判断や行動がなされるべきだと私は考えます。

 しかし神戸市の判断・行動はそうではありませんでした。施設設置者として指導監督すべき立場,指定管理者を選定する立場として主体的に行動することはせず,指定管理者の報告を鵜呑みにする行動を繰り返したわけです。変化に対応できない行政マンの,思考力の融通の利かなさや石頭ぶりがよくうかがわれる行動,といえばよいのでしょうか。

 先日読んだ新聞記事で,日本在住20年を超える英国記者の言葉の中に「何か間違いを犯したときに、それを認めようとしないのは日本の政治、行政に共通しているように思う」とありました。私の頭の中では「神戸市役所」という言葉が重なっていました。

 非常に悲しい公務員の性を見せられたようにも思いますが,私どもがこうした市役所や指定管理者の認識や対応に納得できないことは,改めて強調しておきたいと思います。