娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

まともに答えず報道のせいに

 今年5月に神戸市長宛に提出した質問状への回答が,質問に適正に答えたものではないことについては,10/18『神戸市 被害者の取り扱い方』にも記しました。ここではその具体例をもとに話しを進めます。

 「発達障害の発表について」という質問に対する回答です。発達障害については,10/13『「発達障害だから暴力」という発表』にも記しましたので,それも合わせてご覧いただければ。

 まず,被害者からの質問を要約しておきます。昨年12月の記者会見の際,加害児童が「発達障害」であることが暴力の要因とうかがわれるような発表がされました。その是非の質疑が3月の議会でもありましたが,市は一般論で答弁しています(なぜ事件の具体で答えられない?)。被害者は発達障害を持つ児童支援の勉強を続けてきているので,自分が関わる事件が軽率な発言を引き出したことに残念な思いをもっています。神戸市は独自に「発達障害者支援センター」を設置しているので,そうした担当とも情報共有を図って発達障害と暴力の関係を見極めておくべきでしたが,そうした情報共有は行われたのですか?

 これに対する神戸市からの回答は,次のとおりです。全文掲載します。
『12月19日に掲載された新聞等において、「少年野球で使われるようなバットで殴った、県警は男児を傷害の非行内容で児童相談所に通告、別の児童にも暴力を振るっていた」という記事や見出しで、あたかも競技用バットで殴ったととられかねない報道があり、説明会見を行いました。その中で、小学2年生の児童が起こした経緯や状況を正確に伝えることで、当該児童に対する誤った理解や混乱を避ける必要があると判断し、表現については慎重に取り扱っていただくようお願いした上で、やむを得ず、加害児童が障害を持っており、事故発生当時情緒が不安定であるといった児童の特徴を説明したものであります。我々としても、発達障害のお子様が暴力的ということではないと当然認識しておりますし、大方のマスコミには理解を得られる中、一部心無いマスコミもあり、遺憾に思っております。』

 読むたびに「競技用のバットがどうした?」などの疑問や「コノヤロー,適当なことばっかり書きやがって!」という怒りが湧くのですが,そこを抑えて話を進めます。

 回答文だけを読むとまともに思うかもしれませんが,私は記者会見の中で「言っちゃった」ことを聞いているのです。ニュース録画を見れば確認できる話です。録画で確認したかしなかったか,と聞いた方がよかったのかもしれません。

 私と娘が指定管理者に面会した際に,彼ら強調していた一つが「加害児童は発達障害」でした。これまでも書いてきましたが,神戸市は指定管理者の情報にのみ依存していました。そこに対する疑問があったからこそ「市の内部で発達障害に関する情報共有を図ったのですか」という質問になるのです。

 結局,私たちからの質問,市内部で情報共有に関しては一言も触れていません。要するに無かったということなのでしょう。普段からの仕事の仕方がこうした事態で現れることを確認できたと思っています。「発達障害のお子様が暴力的ということではない」ことは“言われなくても分かってるわい”ということでしょうが,言っちゃった。しかも「自分たちは理解して説明した」けど「一部心無いマスコミ」の理解が足りないのでそれが悪い,という言い方は見苦しい言い訳にしかみえません。

 報道の仕方が悪いから,で納めたいのでしょうが,ここで聞いているのは報じ方の問題ではありません。発表して良い情報なのか悪い情報なのか,情報の精査があったのか,ということです。発達障害と暴力が結び付かないことがきっちりと頭の中に入っていないから起きたのだ,聞いている人に誤解を与える説明しかできなかったのだ,と考えているのです。火元のことは見ず,火の勢いの話だけしているようなもので,本当に「全体」を見ることができない人たちです。

 10/13『「発達障害だから暴力」という発表』にも記しましたが,発達障害の文字は,記者会見用に準備された資料には含まれていません。そういう意味では,発表者のリップサービスとして出たと解すべきものだと考えています。私もテレビニュースの録画を見,課長が笑いがちな表情で説明していたのを憶えています。資料に無い話を持ち出して,悦に入ってペラペラ言っちゃったんでしょ,と想像しています。

 いずれにしても,発表者が自らの失言を謝罪していれば,私らもここまで言い続けていないと思っています。自らの非を認めない姿勢こそが,こうした事態を招いていることを考えるべきです。被害者にとっての「二次被害」は,その姿勢からきています。