娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

コトの重さをいつ意識した?

 娘を殴った児童は明らかに少年法にもとづく法的措置が必要,と私は考えていました。しかし,児童館は加害児童保護者を呼び,「出入り禁止」を言い渡します。次の事件を起こす前に保護する必要があったと考えますが,世間に放逐してしまいます。児童館としては「後は自分たちには関係ない」ということにしたのだと理解しています。それ以上に,「事件ではなく事故」「大した問題ではない」とするシナリオの中に納めることが優先され,市もこれに同意して法的措置の必要性を認識していなかったと考えられます。

 しかし,被害届の提出によって警察による触法調査が行われ,児童の行った暴力が認められ,児童相談所に通告され,彼はその後指導を受ける生活に入ります。なぜもっと早い段階でこうした措置が取られなかったのでしょう。

 そうしたこともあるので,私どもが神戸市に提出した質問の中で,「事件の持つ触法性について神戸市が意識されたのはいつか」という質問を入れました。その回答には「報告を受けた時点から触法性があると認識しておりました」とあります。この「報告」は,質問で考えると警察が動き出したことを知らされた時と思われますが,それでは遅すぎるのではないかと思います。なぜ被害者と加害者が存在していることへの疑問を持たなかったのか,不思議に思っています。

 事件から半年以上経った時点で行われた12月の記者会見資料の内,補足資料の中に次のような記載があります。10/23『事件と事故にこだわる理由』に「間違いを含んでいる」と記した部分です。
「・児童相談所への通告時間は」との項目の部分に
「→児童相談所への通告は警察が行なったものなので不明。被害職員の親族が警察に届けを出されたのが6月27日であったためその後と思われる。」とあります。

 この記載について,「間違い」とした部分を説明しておきます。①被害届は基本的には被害者本人が出します。6月27日は提出の相談に私と娘が警察署を訪ねた日で,翌28日に指定管理者を訪れて警察への協力をお願いしています。被害届の提出は7月5日です。6月27日は提出日ではありません。②神戸市の場合,児童相談所は神戸市こども家庭センターになります。こども家庭センターは,児童館担当と同じこども家庭局に属します。通告は10月に行なわれますが,その情報を持っていません。児童の情報は出せないにしても,資料には別な表記の仕方があったはずです。以上のことを考えると,この時点での記載も指定管理者の情報だけ,と考えられます。指定管理者の情報には,事件後早々に「出入禁止」にした児童の情報は含まれません。同じ局に属す児童相談所の情報もなかったようです。

 そして,この表記はもう一つのことを意味します。これまで何度も記しましたが,6月5日の課長による現場確認で事件を手打にしています。その後,被害者から警察に被害届を出されるわけですが,「それは事件と関係ない」との姿勢を示していると考えられるのです。情報公開でも被害届が出されたあたりの資料は出てきません。6月5日で彼らの頭脳はフリーズになるのです。

 その後の3月の市会常任委員会での答弁内容を見ても,12月の段階とほぼ変わっていませんが,答弁に立った部長は答えに窮する反応を見せています。そして,この3月常任委員会終了後の3月28日に,この問題に対応するためであろう弁護士を交えての相談が行われていることを情報公開で知りました。当然中身については隠されていますが,1時間半も打ち合わせをしています。これ以前にそうした会議・打合せは見出せません。市役所内の法務担当との相談はあったかもしれませんが,資料にはありません。むしろ,何も無かったものと私は考えています。そして,被害者との関係について「市は、指定管理者の被用者と直接お会いする立場にない」という言い訳もここで考えられたものと私は推測しています。

 12月の記者会見には6月までの資料でしのいだものの,3月市会で取り上げられてしまった。しかもかなり具体的に。そこで急遽,弁護士を交えて今後についてのアドバイスをもらったというのが事実だろうと推測しています。「報告を受けた時点から触法性があると認識」していたとする回答の,何とそらぞらしいことやら。