娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

それでも現場対応は「適切」といえるのか

 改めて事件現場にを振り返ってみます。事件直後の指定管理者の対応,具体的には頭部をバットで殴られた被害者の扱いを神戸市がどう評価しているのか,ということについてです。 まず,被害者から神戸市への質問と,これに対する回答をことから始めます。質問のタイトルは,「 事件直後の被害者への措置について」でした。

[被害者からの質問・要約]
① 後頭部を殴られた被害者は意識朦朧となり,最初の病院での診療中に意識を回復します。3月の市会委員会では,被害者は「フラっとされた」との答弁で,強く殴られたことも「たたいた」という軽い表現にされていて深刻には受け止めていないようですが,その根拠は?
② 頭部に衝撃を受けた場合,早い検査と治療が求められるので救急車の出動を要請するのが一般的ですが,通報はされません。これについて12月の記者会見では「事件直後に病院へ運んだ」旨を説明し,3月の市会委員会では「脳の専門の非常に大きい病院が非常に近かった」「職員が乗ってきた車で運んだ方が早い」と判断し,事件直後に対応がなされたような答弁となっています。しかし指定管理者の記録では,被害者が病院に運ばれるのは1時間半ほど経過してからです。命に関わる事態の中で1時間以上経過してからの行動を「すぐに」の範疇に収めることには無理があると考えますが,やはり「すぐ」ですか?
③ 被害者から指定管理者に,救急車を呼ばない判断を誰がしたのか尋ねても明確な返答は得られていませんが,12月の新聞報道では「近くの病院に連れて行くのが適当と判断した」との説明がされ,3月の市会委員会では「車で運んだ方が早いという判断から」と答弁されますが,指定管理者にそうした「判断」の有無について確認されたのか?確認されたのであれば誰が判断をしたのですか?
④ 事件後2カ所の病院を回ったものの有効な診断が得られず,翌日になってから入院が決まるありさまでした。そうした経過を踏まえると診療の遅れがあり,指定管理者の初期対応は危機管理能力の欠如が露呈されたものと被害者は考えます。しかし市は12月の新聞報道では「適切」としていましたが,その根拠は?

[神戸市からの回答]
 指定管理者からは、事故直後に一瞬気を失うも直後に気を取り戻したこと、通行人に肩を抱えられながら自ら歩いて館に戻ったこと、その後も児童館の他の職員とも会話をしたことなどを複数の職員に確認したと報告を受けています。そのため、救急車を呼ばずしばらく安静にさせた上で、状況に変化が無いことは確認できていたが、念のため指定管理者の車で市内有数の脳神経外科を有する病院及び総合病院に搬送したとの報告を受けています。上記の事故直後の状況からすれば、指定管理者において、救急車による緊急搬送までも必要な怪我ではないと判断したことには合理性があり、その後の指定管理者による病院搬送も含めて、このようなケースにおいて一般的な対応がなされているのではないかと認識しています。なお、事故当日、二つの病院いずれでもCT検査を実施し、いずれも異常なし(総合病院は精密検査ができないため翌日通院指示)との診断であった旨報告を受けております。

 以上のやり取りをベースに,私の疑問を記します。被害者からの複数に分割した質問に対し,市は総括した形で返答します。それだと返答が見えない,隠される部分も出てくるので,質問に合わせる形で整理します。
 なお,これもこれまでに記してきましたが,あくまで「指定管理者から」「報告を受け」たことしか記されていません。市でその内容を確認検証した独自情報を持たない弱みが,こうした形で表現されていることを改めて記しておきます。

① 3月の市会委員会での答弁で使った「フラっとした」「たたいた」という表現への疑問を書いたわけですが,その前の12月記者会見資料でも「引率職員のうち1名をたたいた」となっています。被害者は,この「たたいた」を受け入れられないのです。娘は診察してくれた脳の専門医から「衝撃によって脳に偏りがみられる」といわれています。そんな大きな衝撃が「たたいた」ですか?随分軽い表現です。

 事件後,指定管理者からもらった資料では「殴った」でしたが,5カ月後には「たたいた」に変わります。「殴る」と「たたく」の違いは小さくないはずです。この表現の違いは現場の話ではなく,その後の5カ月間の変化ですので,いつ,どのような形で,誰が変化させたのかを神戸市には検証する責任がある,と私は考えています。

 また「フラっとした」という表現も受け入れられないのです。「肩を抱えられながら自ら歩いて」とか「他の職員とも会話」と記していますが,被害者のそうした行動について,通常の行動とどう違うのかについて,脳と衝撃の関係に詳しい専門医にも確認してほしいのです。

 いずれにしても,「たたいた」「フラっとした」という軽い表現を使うことには,とても重い意味が隠されていると考えています。そうした軽い表現に変える意味を改めて考えなければなりません。

② 頭部外傷の被害者を「1時間半」も経過してから病院に運ぶことに疑問を述べたつもりですが,明確にそれに答える明確な記述はありません。1時間半の放置も妥当なものと見なしているということなのでしょう。いずれにしても,救急車が呼ばれなかったこと,被害者に迅速な行動が取られなかったことの背景には,事件に対する指定管理者の姿勢が現れており,市はそれに追随・同調しているとしか私には見えないのです。

③ 救急車を呼ばない判断を誰がしたかということを聞いていますが,それについては答えていません。しかし,この回答の数日後,市会常任委員会で同じ内容での委員質問に対し,「館長」と回答しています。市が被害者を軽んじる対応と受け止めています。質問に対する回答文書が市で定めた公文書管理規程に沿わない形で出されていることを,10/18『神戸市 被害者の取扱い方』にも記しましたが,市にとって被害者は「その程度」の存在だと思うしかないのでしょうか。愚弄されていますね。

④ 上記①~③を踏まえて「適切か」と聞いたつもりです。彼らの答え方はここをみればよくわかりますが,聞かれたことの是非や善悪に関する明確な記述を避けます。「聞かれたことに答えていない」と言われれば「答えた,よく読め」というでしょう。曖昧にしなければならない理由は現場を確認してなかったから?でもやはり,聞いた側からすれば「ずるい」としか言いようがありません。

 

 改めて事件現場を振り返ってみると,やはりそこには市と指定管理者に対する疑問が多く,重く残されています。