娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

事態は矮小化されている

 前回(11/07『改めて事件の要因を考える』),事件の要因について私の考えを記しました。被害者が苦しめられてきたのは,事件後の関係者の対応にもあることを説明したつもりです。そこで,神戸市が指定管理者の情報にだけに依拠して発表を行なった12月までの流れについて,もう一度整理しておきたいと思います。

 5月24日の事件翌日,指定管理者から神戸市へ報告があげられますが,それは事態が「大したことではない」というような内容だったのでしょう。救急車や警察への通報がなかったのもその流れの中にあります(10/09『呼ばれなかった救急車』11/05『児童はなぜ野放しにされたのか』)。6月5日に神戸市は初めて現場を確認し,労いの言葉を送ります。あとは被害者が職場復帰すればすべては終了となっていたと思います。この段階から市は,指定管理者の情報にのみ依拠し,独自情報を積み上げることを怠っていました。(10/11『「事故」現場はどのようにできたのか』参照)

 しかし,指定管理者と市の予想に反して,被害者は警察に被害届を出します。職場復帰しか想定していなかった指定管理者は,事態を「大したことではない」方向と逆に進めた被害者に態度を硬化させただろうと推測しています。そして市もこうした指定管理者に同調していたのでしょう。事態を「小さな軽い」方向に進めたい指定管理者と,事態を「大きく重い」ものと考える被害者の違いが明確になったわけですから,ここが市の判断のしどころ,ターニングポイントだったと私は考えています。しかし,市はそれまでの選択を変えることはなかったようです(10/12『方向転換できなかった神戸市役所』)。

 その後,被害者は指定管理者が救急車を呼ばなかったことを批判するようになります。指定管理者はますます態度を硬化させ,雇用していた被害者の支援を行なわないことにしたのでしょう(10/15『見舞金も出さないんだ』)。そうした状況にある指定管理者に,市の担当者も同調した,もしくは同調せざるを得なかったのでしょう。当初から自分たちで情報を集めなかったツケといえます。

 こうした状況の中で,被害者は新聞記者と知り合い,自分の知っている事件情報やその後の苦衷を伝えます。被害者は「兵庫県内」として情報提供していましたが,地元神戸新聞社は何らかの方法で「神戸市内」であることを知り,神戸市役所に事実確認をします。そうして用意されたのが,新聞掲載日となる12月19日の記者会見資料ということになるのでしょう。その基礎となる内容は指定管理者のものだけなので,児童の情報などは十分ではありませんでした(10/27『コトの重さをいつ意識した?』)。
 案の定,記者会見用に準備された資料は底の浅い内容でした。被害者が警察に被害届を出す前に,市と指定管理者の間で固められていた「大したことではない」方向性のものをベースにせざるを得なかったからです。事態を根本から問い直す余裕もなく記者会見となったでしょう。その流れの中で,「殴った」も「たたいた」に変更され,事態を軽い方向に印象づける矮小化がさらに進められたと推測しています。市役所内部での情報共有すら図らぬ「タコツボ仕事」の人たちですから(10/18『神戸市 被害者の取り扱い方』),見直す必要性も感じていなかったのではないかと想像しています。

 繰り返すようですが,市が記者会見に用意した資料に記載されている内容は,事件現場の真実を語っていないと考えています。これまで述べたような状況を振り返ると,ここに記したような背景が見えてくるので,余計に信用できないのです。被害者には,そこに事態の矮小化を図ろうとする姿勢が見えてならないのです。自ら現場に足を運ぶ,関係情報の収拾にあたるというような基本的な作業を怠った結果とみています。