娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。苦しむ日々が続いています。事件について考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)です。

児童・生徒暴力被害者の会

 今月初め,娘が『児童・生徒暴力被害者の会』を発足させました。一昨年5月の事件以来,さまざまな理不尽を受け,自分が置かれている状況の厳しさに辛い思いを繰り返してきましたが,多くの人の支えの中で,自分と同じ境遇の人が増えてはならないという思いを強くしていったようです。そして,少年からの暴力によって同じ境遇にある人とつながりながら,狂わせた人生を取り戻し,その苦しみを和らげたいという思いを少しずつ形とした一段階が,今回の形になったということになります。HPも開設しました。
http://jidou-seito-bouryoku-higai.com/higaisyass/index.html
下旬の25日には「因縁」の神戸市役所で記者会見を行い,一部メディアには報道していただいています。産経新聞をあげておきます。
https://www.sankei.com/life/news/190325/lif1903250036-n1.html
とはいえ,この先,なかなか思うように事が運ぶような話にもならないだろう,と父は考えています。

 日々の報道を見ていると,随分多くの刑事事件が起きています。警察庁のHPによると,平成29年度の刑法犯の認知件数は91万5千件余で,このうち生命や身体への罪が含まれると思われる区分をみると,凶悪犯が4,840件・粗暴犯が60,000件余となっています。それでも日本全体の人口でその被害者数を考えると0.5%です。それとは別に犯罪被害給付制度を利用した人を見たところ,平成27~29年度は460~390人となっています。
 犯罪被害者支援制度にたどり着く人を,被害を前向きに捉えている人と考えて並記してみましたが,その理解に間違いがなければ,制度を知る被害者数は微々たるものでしかありません。被害の辛さの中にいながらも,どうすれば良いのかわからない人が圧倒的に多いように感じます。犯罪被害者等基本法が平成16年に制定されてから10年余,法律や制度の浸透がまだ十分ではない部分もあるでしょうし,犯罪被害者には支援が必要だということに気付いていない人が多いようにも思います。こう書いている私自身もそのことに気付いたのは,娘が被害者になってからですから,大きな顔で云える話ではないのですが。

 犯罪被害というものは,その起きた状況や環境,事件そのものの背景など,まさに千差万別です。事件は加害者と被害者の間で起きたものと考えがちですし,そう見える場合が多い気がします。しかし,事件の周囲に制度的・環境的なものが隠れている場合もあり,加害者・被害者だけの問題とは言い切れない社会的な部分があると考えます。まして,本来であればその責めを負うべき加害者がその責任を果たせず,被害者への補償も行なえないという話はよく聞きます。事件で大きな被害を負わされただけでなく,そこで失った経済的損失まで被害者が背負わされてしまうことになります。だからこそ,被害者に対する支援の必要性が出てきます(’18/12/10『犯罪被害者という社会的弱者』)。

 ただ,一つひとつの事件が異なる事情や背景を持っている分,被害者の連携を進めることは難しいものがあると思います。一つの事件で複数の被害者が団結してという話はよく聞きますが,別々の事件の被害者が連携して新しい動きを作るということはほとんど聞きません。暴力を受けた人たちで連携ということは,なかなか思うようにいかないものがあるといえます。
 ましてや娘の場合は,加害者が少年法で守られるというハードルがあります。しかも14未満の「触法少年」ですので,一般の裁判と違い,法廷で被害者の立場から加害者に問うということもできませんし(’19/02/20『少年事件と触法事件』),事件報道も遠慮したものにしかならないので(’19/02/25『少年事件と報道』),事件の詳細を一般の人が知る機会も限られます。相手が触法少年ということになると,少年とともに被害者も社会から忘れられていく立場に立たされてしまいます。一般犯罪被害者よりかなり不利な状況に落とされるということだけは,知っていただきたいと思います。

 そうした状況への疑問もあるので,娘は事件後,自分と同じように児童・生徒から被害を受けた人たちと連絡を取ろうとしました。報道をもとにそうした人たちに接触を図ったようですが,前向きに返答してくれる人は多くなく,「そっとしておいて」という反応も少なくなかったようです。事件による急激な変化の中で,そうした気持ちになるのも理解できるところです。
 しかし娘の場合でいうと,加害児童・保護者からは今もってきちんとした謝罪はありません。事件当初に隠蔽・矮小化を進めただけでなく,休職状態にあった娘の生活支援を一切行なわなかった児童館指定管理者は現在の静かな状況にほくそ笑みながら風化を待っているのでしょう。児童館設置者である神戸市が事件を教訓とした再発防止策を立てたとも聞いていません。被害者が「そっと」してしまうと,事件の重さを被害者に押し付けて平然とする輩が出てくるのです。

 娘のやろうとしていることは,「教師への暴力」という社会的課題として少しずつ認知が高まっている部分ですが,基礎的な資料すらまだ十分ではないところもあります。加えて「子ども界」の話にもなるので古い概念も含め,さまざまな考え方にも遭遇するでしょう。非常にハードルの高い活動になると思っています。それでも,どんな状況であれ「暴力は許さない」,というところから進める話です。暴力には,一人ひとりが気付いたところから行動を起こしていくことが必要だと考えます。小さくてもいいから,前向きに取り組んでいってほしい,できるだけ多くの人に賛同してもらえる形を作っていってほしい,と考えています。ご支援よろしくお願いします。
 私自身は仲間を募ってコトを成すことが得手ではないまま過ごしてきた人間なので,そのDNAが娘に色濃く遺伝していないことを強く願っています。