娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

回答,前回のコピーはないだろう!

 3月に神戸市と行ったやり取りのうち,今回は事件発生直後,指定管理者が救急車を呼ばなかったことに関連するやりとりです。
[タイトル]事件直後の被害者への措置について
[質問] 昨年5月に提出した質問状(以下「前回質問」と記す)の同タイトルに関連します。事件直後救急車が呼ばれなかったことに関する前回質問に対し、指定管理者が「救急車による緊急搬送までも必要な怪我ではないと判断したことには合理性があり」、「このようなケースにおいて一般的な対応がなされているのではないかと認識」と回答がありました。被害者が現在も治療を受けている脳震盪の専門医によると、医療現場で広く使われている頭部外傷による意識障害の尺度で考えると、被害者の場合は「すぐに救急車を要請すべき」状況にあったとうかがっています。それでも神戸市は、指定管理者が救急車を呼ばなかったのは合理性があり、一般的な対応と考えますか。
[回答] 指定管理者からは、事故直後に一瞬気を失うも直後に気を取り戻したこと、通行人に肩を抱えられながら自ら歩いて館に戻ったこと、その後も児童館の他の職員とも会話をしたことなど複数の職員に確認したと報告を受けています。そのため、救急車を呼ばずしばらく安静にさせた上で、状況に変化がないことは確認できていましたが、念のため指定管理者の車で市内有数の脳神経外科を有する病院及び総合病院に搬送したとの報告を受けています。
 さらに、事故当日、二つの病院いずれでもCT検査を実施し、いずれも異常なし(総合病院は精密検査ができないため翌日通院指示)との診断であった旨報告を受けております。上記の事故直後の状況からすれば、指定管理者において、救急車による緊急搬送までも必要な怪我ではないと判断したことには合理性があり、その後の指定管理者による病院搬送も含めて、このようなケースにおいて一般的な対応がなされているのではないかと認識しています。
[所見] 昨年5月に提出した前回の質問状では,児童館館長が事件直後の被害者の状態を軽いものとして救急車を呼ばず,1時間半も経過してから病院へ運んだりした判断を問うものでしたが,納得できる回答ではありませんでした。そこで今回は診療で得た情報をもとに,頭部外傷者への対応として現時点での一般論を問うものでした。
 回答は,文章がほぼ前回回答のコピーで,アンダーラインがコピー部分です。現時点の見解,一般論には触れていません。質問にまともに向き合わず,論点をずらしていて,コピー行為も含め,非礼な回答と受け止めています。

 事件現場の対応について,指定管理者は自らの対応を「全く間違いがない」としてきました(’18/10/09『呼ばれなかった救急車』)。被害者が受け入れられるものではないので,救急車対応への判断のみならず,加害児童への措置なども含めて,俯瞰的には隠蔽・矮小化をうかがわせるものと批判してきました。
 神戸市の事件現場情報は,その指定管理者のものだけで,自身が現場で調べたものは皆無と考えられます。重大案件とは考えず,現場も確認しない,被害者からの聴き取りもしないというのは失態と考えています。情報が少ないままだから,コピーで回答せざるを得ないともいえます。
 そしてこの問題にまともに答えないというのは,事件を取り巻く情報との関わり方に関する姿勢の現れでもあります。世間的な情報があるとしても関心を持たない,都合の悪い質問にはまともに答えないという姿勢がよくわかる回答で,硬直的な思考をうかがわせるものです。

 被害者がずっと求めてきたのは,指定管理者がねじ曲げ,神戸市が世間に流布させてしまった事件情報を,少しでも事実に引き戻すことです。それとともに頭部外傷者に対する救急搬送の必要性を広めること,被害者と同じような対応をされる人がなくなることを望む気持ちからです。頭部外傷は命につながる大ごとです。「頭部外傷者には救急車を」という周知は事件以前から進められてもいますし,脳震盪への理解も少しずつ浸透していると考えています(’18/12/03『世間では救急車を呼ぶのが常識』)。昨秋あったサッカー日本代表の試合で頭部を打った選手が入院検査をしたとか,つい最近は芸人がスタジオで転倒して頭部を打って数日入院したなど世間的にも話題になった事例もありました。いずれも救急搬送されています。にもかかわらず,「合理的」で「一般的な対応」と言い切る神戸市は,とても非常識だと考えます。
 被害者としては,児童館も含む神戸市内の施設に「頭部外傷の人には迷わず救急車を」と触れを出してほしいとずっと考えてきましたが,このような経過の中では考えてもくれないだろうとも思っています。