娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

「特段の理由」があるから言葉が変わるんです!

 事件後半年以上も経過した平成29年12月19日,事件が初めて報道されました。このため神戸市は急遽記者会見を行います。その際の資料を情報公開で入手しましたが(’18/10/10『神戸市や指定管理者が考えた事件現場』),そこに被害者が許容できない文言や疑問があったことからの質問です。

[質問] 当該資料について、以下を質問します。
(1) 先にも記した平成29年7月に指定管理者である社会福祉法人フジの会から送られた資料では、加害児童が「後ろから殴った」と記されていますが、記者会見資料には「たたいた」と記されています。「殴った」から「たたいた」に変更した理由を説明していただきたい。
(2) 資料中「事案発生の経緯」に関連し、被害者が療養のために帰省したのは事件翌日の5月25日でしたが、資料記載ではここだけ「5月下旬」と日付がない形での記載になっています。その理由はなぜですか。
[回答](1) 指定管理者からの資料による表現と、記者会見での表現に違いが生じていることについて、特段の理由はありません。
(2) 指定管理者からの資料による表現と、記者会見での表現に違いが生じていることについて、特段の理由はありません。

[所見]私の入力ミスではありません。(1)も(2)も全く同じ答えになっています。(1)では,指定管理者の表現と市の表現の違いを質問していますが,(2)は市が作成した資料に並んでいる記載内容の比較で,指定管理者の資料と比較しているわけではないので,回答としてズレたものになっています。回答文面で考えると,(2)は(1)のコピーということなのでしょう。本当に雑な仕事を平気でしてくれる人たちで,無配慮な仕事の取組み姿勢を示す好例といえます。発信者であるこども家庭局長さんは,本当にこの回答に目を通したのでしょうか?

(1) 指定管理者からの「殴られた」表現が,5カ月後の市の発表で「たたかれた」表現に変えられたことに関して,後遺症が残るほどの傷を受けた被害者からすると「特段の理由はありません」の回答で済む話ではアリマセン!特段の理由があるから変わるのです。表現というものは,何らかの思惑や意思のもとで形作られるものです。「殴られた」表現が「たたかれた」表現に変わるというのは,それなりの思惑や意思がなければ変わりません。まして,前例や根拠を大事にする公務員の方々が使う言葉として,ここでの「特段の理由はありません」はまことに不釣り合いです。誰が読んでもわかるようなシンプルな変更なので,本音を書いて状況を悪くするわけにもいかないし,余程の理由を考えつかなければここには書けない,というところでしょうか。それとも,安易にコピー回答を使うような人たちなので,「特段の理由はありません」としても通用するとでも思っているのでしょうか?

(2) 記者会見資料がもし配布されたものだとすると,列記された中で1カ所だけ曖昧な表現にされるというのは,その曖昧さが憶測に結び付くことになります。資料の作り方が被害者に対する憶測を呼ぶことも起こり得ます。「特段の理由はありません」の背後に印象操作の思惑がうかがわれるからこその質問でしたが,そうした疑問を膨らませる回答といえます。それとも,コピー回答で済ますほどですから,答えられるような言葉が思い浮かばなかったのでしょうか?

 神戸市が記者会見を開いたのは,この日報道された内容が被害者に取材したものだったからです。この日まで一度も被害者に会わずに来た神戸市としては,自分らの不手際を書かれることを懸念しての会見だったはずです。しかしこの時点で,市が保有する事件情報は,指定管理者が当初に報告していた情報だけ,つまり半年前の事件時の情報だけでした。被害者の症状が「難聴」を中心とした説明だったのも当初情報しかないからです。記者会見の頃の被害者はさまざまな症状が表面化していた頃です。児童のバット一閃が,命を危険にさらすほどの大きな衝撃を脳にもたらし,それによる様々な不調が表面化しつつある状況にあったからです。

 神戸市はこの時点でも,被害者の症状,事件の全体像に対する関心を持つことなく,その後もその軽い認識を頑なに維持することになります。