娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

言い訳のあとは疑問符回答ですか

 事件後半年以上も経過した平成29年12月,事件が初めて報道されることになりましたが,その報道内容は被害者に取材したものでした。それまで一度も被害者に会わず指定管理者の情報に依存していた神戸市は,自らの不手際が書かれることを懸念したのか,急遽記者会見を開きます。しかし,この会見で大失言が出てしまいます。加害児童が「発達障害だから暴力行為に及んだ」と受け取られる発言です(’18/10/13『「発達障害だから暴力」という発表』)。これに関連しての質問を,前回に続き出しました。

[タイトル]発達障害の発表について
[質問]前回質問では、神戸市役所内の発達障害者支援の部署との情報共有が行なわれたのかとする質問も出していましたが、回答がありませんでした。別質問「事件に対する認識」の項の回答の中で「具体的な情報については、関係部署内では共有しております」とありますが、『発達障害支援の部署』と情報共有を図られたうえでの記者発表だったのか、共有しないままの発表なのか改めてお答えいただきたい。
[回答]発達障害者支援の関係の部署も含め、内部で情報共有を図り対応しております。

[所見]このやり取りは前回を引き継ぐものなので,前回の説明から始めます。神戸市は発達障害者を支援する部署を設けており,発達障害に対する理解が進められていると考えていたので,「発達障害だから暴力行為」とする不見識な発言に疑問を感じ,前回の質問状に含めました。
 前回の質問では,前文で記者会見やその後の市会委員会でのやり取り,発達障害に対する社会的な関心の高まり,神戸市による発達障害の取組みに触れたうえで,質問の核心は「神戸市内部での情報共有は行われたのでしょうか」としましたが,回答ではその核心には触れません。長くなりますが,前回の回答全文を記します。
「12月19日に掲載された新聞等において、「少年野球で使われるようなバットで殴った、県警は男児を傷害の非行内容で児童相談所に通告、別の児童にも暴力を振るっていた」という記事や見出しで、あたかも競技用バットで殴ったととられかねない報道があり、説明会見を行いました。その中で、小学2年生の児童が起こした経緯や状況を正確に伝えることで、当該児童に対する誤った理解や混乱を避ける必要があると判断し、表現については慎重に取り扱っていただくようお願いした上で、やむを得ず、加害児童が障害を持っており、事故発生当時情緒が不安定であるといった児童の特徴を説明したものであります。我々としても、発達障害のお子様が暴力的ということではないと当然認識しておりますし、大方のマスコミには理解を得られる中、一部心無いマスコミもあり、遺憾に思っております」

 前段バット部分については,既に記載しましたので(’19/04/26『バットの硬さが影響する話なの?』),ここでは触れません。その後の部分では,加害児童について慎重に説明したが,一部心無いマスコミが暴力的と報じた,ということだと思います(’18/10/26『まともには答えず報道のせいに』)。そうすると私が見たニュースも心無いマスコミのようです。では,その心無いマスコミに抗議しましたか,それがなければこの記述はただの言い訳です,という話にしかなりませんが,そこはどうでしょうか。
 それはそれとしても,質問の核心である「市内部での情報共有は」に全く触れていません。これをどう考えれば良いのでしょう。バットがどうのとか,情緒が不安定とか,マスコミがとか,聞かれていないことを延々と綴ったうえ,聞かれたことには答えない。神戸市の回答を読みながらストレスを感じる,イライラしてくるのは,こうした記述が多いからです。こんな形で,答えそのものを記載しない質問も少なからずありました(’18/10/18『神戸市 被害者の取扱い方』)。こうした対応が日常的なのでしょう。

 そうした前回を踏まえて,もう一度尋ねたところ,前記のとおり簡単で杜撰な記述で返されました。そんなにシンプルに答えられるのなら前回もできたはずですが,なぜできなかったのでしょう。言い訳として成り立つ話は延々と記述し,答えたくない核心部分はシンプルに返す。この二つの答え方の差に,もっと意味が隠されているように思われてなりません。私は勝手に憶測します。

 さて,今回の回答に戻りますが,市の発達障害者を支援する部署でも了解して記者会見に臨んだということになると,市として「発達障害は暴力の要因になる」という見解を持っているということになります。もし私が発達障害者支援担当であれば,絶対にそんな話には付き合いません。認めたら,支援を希望する発達障害の人たちを傷つけることになる話ですから。このシンプルな回答はそうした性格を持つもので,公の回答として本当にこれで良いのでしょうか。