娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

性暴力事件も被害者重視で考えて

 今年3月に行われた性暴力に対する判決で,「無罪」が続いたことに対し,多くの報道で疑問が述べられ,今も語られ続けています。私も判決を耳にした時から「??」という印象を受けていました。私の疑問の根にあるのは,被害者の無念が晴らされていないことにあります。

 父親から19歳の実の娘に対する性的虐待,準強制性交罪を問う裁判で,名古屋地裁岡崎支部で判決が出されました。娘への性的虐待は中学生時代から行われ,小さい時から暴力もあったといいます。娘が同意もなく抵抗しがたい状態に置かれていることが公判で明らかにされ,それらの事実を父親は認めていたようです。判決も「極めて受け入れがたい性的虐待に当たる」と事実を認めてはいましたが,「抗拒不能といえない」ので「無罪」とありました。
 抗拒不能は「意思決定の自由を奪われ,抵抗することが困難な状態」とされ,準強制性交罪の要件となっているそうです。要するに被害者が抵抗できない状態にあるかどうかの部分で,「著しく抵抗が困難だったとまではいえない」というのです。父親の行動は日常的な暴力の延長にあるわけで,その支配下での抵抗を子に求めることに無理があるとしかいえません。成長期であることを考えれば,余計に抵抗は難しかったはずです。明らかな性的虐待下にあるということは,人格否定でもあると思います。そう考えると,一般的な感覚からはズレた判決としか思えないのです。

 抗拒不能を問わないと「冤罪が増える」という意見もあるようですが,それは大人と大人の間柄の話で,今回のような親子の間柄で考えられる話とは思えません。上下関係のある状態,抵抗しづらい関係が性暴力を生んでいます。何よりも,成長期の少女を自らの欲の元に置き,支配従属の関係の中で歪んだ行為に入った父親が真っ当に罪に問われる社会でなければならないと考えます。公判では「女性が心理的に抵抗できない状態にあった」とする精神科医の鑑定も提出されたそうですが,「法律上の抗拒不能とは異なる」との判断したようです。法律の条文にあてはめるとそうなりますというのであれば,まずは法律改正から動き出してほしいとも思います。

 そんなことを考えていたら,今年1月に野田市で起こった小4女児虐待事件について以前ここに書きましたが(’19/02/11『「しつけ」という名の暴力』),この事件でも父親による性的虐待の疑いが有ったとする報道がありました。捕まった時の言い訳は「しつけ」だったとわけですが,こうした行動に走る父親の心根には,もともと暴力的なものが巣くっていることが露わになったようにも感じています。最初にあげた父親と同根のものといえるのではないでしょうか。

 某新聞社による裁判員裁判経験者へのアンケートで, 「裁判官との感覚の違い」を感じた人が46%いたといいます。裁判員裁判が始まってから量刑(刑の重さ)に変化が起きていて,特に性犯罪は重くなっている,ともありました。今回のケースも重い判決を加害者である父親に科してほしいものだと,個人的には考えるところです。そのことが,人生の重荷を背負わされた被害者が心を軽くすることにもつながるはずです。いびつな親子関係を振り返りながら,本来の家族を考える時間を持ってほしいとも思います。何よりも,犯罪被害者がもっと大事にされる社会にならなくては。