謝罪,暴力と向き合う姿勢
尼崎高校バレーボール部の事件を考える 2nd
前回,尼崎高校バレーボール部での体罰・隠蔽に関する意見を書きましたが(’19/05/19『暴力・救急車呼ばず・隠蔽・・・また?』),早い進展がみられたので,引き続きこの事件に触れておきたいと思います。
尼崎市は,5月21日に記者会見を開き,市長が自ら登場し,隠ぺいを認めて謝罪しました。隠ぺいされた体罰が発覚してから10日ほどでの会見となります。最初のケガ無し体罰の報告に対し,診断書の存在情報があったことから隠ぺいを疑い,報告を洗い直し,その結果に基づいて事件にきちんと向き合って検証した結果だと考えています。その結果に対し,自治体の長としての毅然とした対応,と私は評価しています。同じ県内の〝あの人たち〟には,使い古された言葉ですが,「爪の垢を煎じて飲んでもらいたい」ものです。
この会見で,体罰を隠ぺいしたとする教育委員会の報告書が公表され,この席で教育長が,学校に体罰を容認する空気があったことを述べています。この事件に関連しての調査で,野球部でも体罰が行われていることも明らかにされています。全てではないにしても,スポーツ強豪校とされる部活動の一部で,体罰が容認されてきている部分が確認されたということでしょう。この学校の体育部活動が潜在的に持っているものかどうかはわかりませんが,この事実が表面化したのも事件に向き合った結果のはずです。こうした不都合な事実に向き合っている姿勢は,もっと評価されて良いと私は考えています。隠ぺいがありふれている世の中ですから。
この事件を機に,部員や保護者も変わることを考えるべきでしょう。記者会見の前に行われたバレー部の説明会では,監督の早期復帰や従来の体制継続を望む声が上がったといいます。「暴力だろうが何だろうが勝てば良い」と言われているような気がします。世の中には,「結果さえよければ」とする言質が少なくありません。しかし,未来世代に関わる集団の中でのそうした考えは疑問視されるべきです。これからの社会に生きる若者には,暴力の再生産に関わるようことのないように生きてほしいですし,そのことを一人ひとりが意識できるようにしてほしいと考えます。
その後もこの事件に関連する報道が続いていますし,他校の部活動での体罰報道もあっていて,部活動の名の下で隠されている暴力行為は,まだまだあるものと考えています。今回の事件を機に,体育部が暴力体質を脱却する方向に動いてほしいものです。今月16日,日本サッカー協会がサッカー指導者の懲罰基準を定めたといいます。暴力・ハラスメント行為をした指導者に対する懲罰で,暴言やわいせつ行為,指導にあたらない「しごき」などについても細かく定め,今後の指導者資格更新時の研修で受講を義務化するとのことです。
去年の5月は日大アメフト悪質タックル事件で大騒ぎでしたが,今年はこの事件で,5月は体罰体質のスポーツ関係者が登場する月なのかもしれません。スポーツに取り組む若者に接する人たちには,7,80年も前の旧軍思想ではなく,サッカー協会のように未来につながる考え方を積み上げていただきたいと考えています。スポーツ界そのものの中でのこうした動きをもっと広めていってほしいものです。そうした行動の広がりが,体罰を含む暴力的な環境を減らす未来社会に向けての具体的な活動なのだと思います。
この事件に関連して,ひとつだけ私の気がかりを。前回も触れたことですが,被害者のその後が見えません。教育現場で起こったこととはいえ,暴力事件です。そのことを悪いことと受け止めていない人たちや,体罰や隠ぺいに関与した人たちが取り囲む環境の中に彼はいます。今後の動きの中で被害者が尊重されるためにも,彼には被害届を出してほしいと考えます。
今日5月24日は,事件から2年目の日です。不誠実な当事者に囲まれ,進展を見ないまま3年目に入ります。娘はかなりの緊張感を持ってこの日を迎えています。被害者の日常は,事件以前と比べると心身の負担が大きくなりますが(’18/12/10『犯罪被害者という社会的弱者』),自分の人生を狂わせた事件の日は,家族でも計り知れない思いに駆られる日になっているようです。一方の当事者たち,加害児童保護者や児童館指定管理者フジの会,児童館設置者である神戸市にとっては早く忘れたい日でしょうし,もう忘れているのかもしれません。そうした当事者のありようが,被害者の心理的負担を増やしているようにも思われます。
いずれにしても,その不誠実な当事者たちとの対面を可能にし,事件を風化させずに成果の見える3年目にしたいと考えています。そうした動きの中で,報道の中からうかがわれる暴力について,娘の事件をレンズとして,このブログに記していきたいと思います。