娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

救急車を呼ばない理由=隠蔽

 娘の事件を考える上で,最初から大きな疑問の渦中にあるのが,救急車が呼ばれなかったことです。この問題を考えるうえで参考となる事件がありました。今月書類送検の報道があった近大生一気飲み死亡事件です。

 事件の経過について,簡単に触れておきます。2017年12月東大阪市内で近畿大学のテニスサークルの飲み会が行われ,2年男子学生が一気飲みの後に昏睡状態に陥り,一緒に飲み会に参加していた学生の家に運ばれます。翌朝呼吸が止まっていたため,119番通報で救急搬送されたものの死亡,死因は急性アルコール中毒の影響で吐いたものを詰まらせての窒息死とされています。1年後,死亡した学生の両親が,適切な対処をしなかったとして学生6人を告訴します。捜査を進めた大阪府警はこの5月,保護責任者遺棄致死容疑で12人の学生を書類送検しました。酔いつぶれて危険な状態にあるのを認識しながら,救急車を呼ぶなど必要な保護をせず死なせた疑いがあり,「結果は重大」として起訴を求める意見を付けたとのことです。
 私が注目したのは,やはり救急車を呼ばなかった理由です。昏睡状態に陥った学生を前に,上級生を含む12人の学生は救急車を呼ぶべきか相談したようです。上級生は倒れた学生が未成年だった場合を懸念し,「自分たちが処分されるかもしれない」「先輩たちの就職にも影響が出るかもしれない」と心配し,結果的に救急車を呼ばなかったという話です。何とも虚しさ・悔しさを覚えさせる理由です。どんな理由があろうと命に思いが及ばない思考がまず非難されなければなりません。

 この事件以上に私が憂慮するのは,前回取り上げた尼崎高校バレー部のケースです(’19/05/19『暴力・救急車呼ばず・隠蔽・・・また?』)。市教委も認定した隠蔽ですし(’19/05/24『謝罪,暴力と向き合う姿勢』),大の大人の悪質な行為として非難されるべきでしょう。
 隠蔽には複数の人間が関わっています。まずは監督。体罰を受けた部員は30分ほど意識を失いますが,監督とコーチは救急車を呼ばず,学校にも報告していません。その理由について監督は「部員の保護者が大ごとにしたくないと話したから」とウソの説明をしましたが,この説明が報道されると体罰を受けた部員の保護者は,市教委に「こんなことをされて大ごとにしたくないなどというわけがない」と話したそうですが,当然です。尼崎市教委の担当者は「監督は大ごとにしたくなかったので報告しなかった」と考えていることを報道取材に語っています。
 次に校長と教頭です。体罰が表面化してから監督とコーチのメモが学校に提出されたようですが,コーチのメモには意識を失いケガをしたという記述があったものの,監督のメモには記述がなかったようです。教頭と校長はこの2つのメモをもとに「ケガは無かった」という報告書を作り,市教委に提出しています。その理由について「見落としてしまっちゃって」「隠そうという意図ではありません」と取材に語っていますが,報告の核心部分を「見落とし」ですか?信じてもらえると思っているのでしょうか。被害生徒は体罰の後,通院などで部活の練習を休んでいますが,このことについて学校側は市教委に「塾に行くために休んだ」と事実と異なる説明をしているようですし,会見の中で「部活を顧問に任せきりにしてしまった」と謝罪したものの,けがの隠蔽については否定していますが,どう見てもこれは隠蔽ですよ。その背景にあるのも「大ごとにしたくなかった」,でしょう。

 こうした隠蔽の一角に,救急車を呼ばないという行為があるのです。救急車で搬送された人の約半数が入院を必要としない軽症という現状もあるご時世に,救急車を呼ばないという判断は「裏に何かある」と考えた方が良いのです。命にかかわる現場で救急車を呼ばない行為があったら,隠蔽を疑えという話を私はしています。

 娘の事件でも救急車が呼ばれませんでした(’18/10/09『呼ばれなかった救急車』)。事件以前から,頭部外傷で脳震とうが疑われるケースでは救急車を呼ぶことが薦められていますが(’18/12/03『世間では救急車を呼ぶのが常識』),それが行われなかったのです。私ども親子がこの疑問を呈すと,児童館指定管理者は代理人を立てて救急車を呼ばなかったことの正当性,「意識があった」「普段と変わらなかった」ことを強調した文書を返してきました。脳震とう直後の行動は,一般の方では判断できないものがあります。その判断が適正かどうかについて,専門医ならともかく現場の人や弁護士には求めてはいません。まずは救急車を呼べ,なのです。児童館関係者は,娘が現在も脳震とうの専門医による治療を受けていることを謙虚に受け止める責任があると考えています。

 そして,救急車を呼ばなかった行為に,加害児童への対処が法令に基づいていないことを重ね合わせると(’18/11/05『児童はなぜ野放しにされたのか』),「大ごとにしたくない」という意図が浮かび上がってきます。尼崎高校の監督と同じです。「大ごとにしたくない」は隠蔽の出発点になる言葉で,一気飲み死亡事件の近大生にも通じる話です。娘の事件の背景にも,児童館の「大ごとにしたくない」という判断=隠蔽があると考える理由です。

 児童館が用意した隠蔽のシナリオを,児童館設置者の神戸市は全面的に受け入れ(’18/10/11『「事故」現場はどのようにできたのか』),現場対応は「適正だった」との判断を今も崩していません。ここまでくると茶番にすら見えます。このブログにたくさん書きましたので,カテゴリー『神戸市のなぜ?』でご覧ください。