娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

隠蔽がもたらした影響を市教委にみる

 事件に対する初期の対応が,児童館指定管理者による隠蔽工作によってねじ曲げられた方向で始まっていることを前回記し(’19/06/19『やはり事件は隠蔽から動き始めたのではないか』)、「隠蔽というレンズを通し,残されているパーツを改めて見直していくことの必要性」を末尾に入れました。そのことを,神戸市教育委員会の対応からも考えてみたいと思います。

 児童館作成資料によると,事件翌日に児童館長が事件の報告のため加害児童が通う小学校へ教頭を訪ねますが不在で,他の教諭に説明し,児童館としての児童の処遇(児童館の退会)も伝えます。その後,同日の内に校長から「お詫びの一報」を受けています。

 しかし,学校から教育委員会に報告はあがることはなかったようです。児童館からの情報で考えると,「大ごとではない」ととらえ,教委への報告の必要性を考えなかったものと思われます。この同じ日に教育委員会に通報してくれた人がいます。娘が講師として通っていた小学校の校長です。娘には非常に親身に接していただいていましたし,娘から事件の詳細を直接聞き,事件の持つ重さについても伝えてくれたようです。しかし,最終的にこの報告は重視されなかったようです。なぜならば,市教委としては事件の現場を抱える学校,つまり加害児童を抱える学校からの情報を第一義とするはずですから,そこから緊急の話としてあがらないことには取り上げようがなかったのでしょう。
 事件に関する二つの情報・対応の落差にこそ事件の真実が隠されていることを探る機会だったはずですが,残念ながらそうした方向には動かなかったようです。この時点でそこに気付いてもらえれば,との悔しい思いが被害者には残ります。娘のことを丁寧に市教委へ伝えてくれたであろう校長先生に対しては,ありがたくも申し訳ない思いがあります。

 事件1年後の昨年5月,私ども親子は市長宛の質問状と同時に教育委員会へも要望を出しました。加害児童が通う小学校の校長との面会を希望する内容でした。娘とすれば,事件そのものは加害児童一人の問題ではなく,これをそそのかす児童がいたことも含めて事件の状況(’18/10/05『考えられる事件の要因』)を知ってほしい,再発防止のためにも事件現場の詳細を振り返ってほしいという思いからのものでした。
 この要望はかなえられませんでした。回答には「在校児童に対する指導の範囲外で発生した」ので,という理由が書かれていました。事件現場は児童館であって学校ではないということでしょう。しかし,加害児童が小学校1年時から課題があり,保護者・小学校・児童館による話合いが持たれていたことを市こども家庭局が市会常任委員会で答弁していることを考えると,いささか説得力に欠ける回答といえます。

 また,この回答の中で,教育委員会が事件のことを知ったのは「平成29年12月19日」の新聞報道の日という記述もありました。しかし,これに先立つ7月初めには被害届の提出があって警察による触法調査が始まり,そのことは7月5日に行われた児童館の会議で学校も知っていることを児童館では記しています。10月初めには警察から児童相談所への通告が行われていますが,そうした一連の情報は市教委には入らなかったのでしょうか。学校からそうした情報が上がらないとすれば,学校を指導する立場にある教育委員会のメンツにかかわる話にはならないのでしょうか。

 児童館から出された情報に対し,被害者側からの被害届提出という異議申立ても,事件後の流れで考えると転換点のきっかけにできるものだったはずですが(’19/05/06『少年法,本当に考えた?』),教育委員会ではこれを機に事件全体の情報を見直そうという姿勢にはならなかったようです。このあたりは,これまで繰り返し記してきたこども家庭局と同様の対応・姿勢,というよりもこども家庭局と足並みを合わせていると受け止めるべきなのでしょう。しかも今となっては,児童館の情報にどっぷりと浸かった状態の中で無駄に時間を経過させてしまったこと,その対応の遅れを指摘されたくないという思惑の方が大きいのでしょう。今も,児童館から発信された「大ごとではない」という情報にとらわれたまま,児童館が事件現場「唯一の大人」と認める娘の情報が無視されたままの状況の中にあります。そのことは,今も再発防止にはほど遠い現状にあるということを意味します。
 以前バレーボール部の体罰隠蔽があった尼崎高校に触れましたが(’19/05/19『暴力・救急車呼ばず・隠蔽・・・また?』’19/05/24『謝罪,暴力と向き合う姿勢』),その後の調査で多数の運動部から体罰情報が集められているという報道を今月中旬に目にしました。体罰という暴力を払拭する努力が続けられていることを,再生に向けた動きとして羨ましくみています。真実に向き合うことで新しい方向に踏み出している好例がここにあると受け止めています。