娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

本当に再発防止策を考えたんだろうか

 私がこうして事件にこだわるブログを続けるのは,被害者が現場で見たことが事実として認められておらず,それゆえに有効な再発防止策も立てられていないと考えるからです。再発防止策について神戸市は,これまで職員数のことしか触れていません。

 そこで,昨年5月の質問でも,職員体制の不備以外の事件の要因をどう考えてる?市内児童館に対して行われた職員体制の確認は事件報道がなければしなかったのか?という質問を入れましたが,例によって質問はスルーして,自分たちの事情だけを記す回答でした。それもあり,今年3月にも「施設設置者として、当該事件の再発防止の具体策についてどのようにお考えなのか教えていただきたい」とする質問を入れました。これに対する回答は,次のとおりでした。
「神戸市としては、このような事態が発生したことは残念であり、改めまして被害に遭われた被害者様には心よりお見舞い申し上げます。神戸市では、このような事故が起こらないよう国の省令等に基づき、40人に2人の支援員を配置し、対応が困難な児童がいればそれに見合う職員配置も行っておりますが、今後もあらゆる機会を通じ、指定管理者への周知、徹底、対応が困難な児童についての研修等を行うとともに、引き続き指導、監督してまいります。市としては、今後も、全ての学童保育施設の指定管理者を対象に、安全管理の周知、徹底を行いながら、安全な学童保育事業が実施できるよう努めていく所存です」

 前回とほぼ同じ内容,ほぼコピーと言えます。「事件」ではなく「事故」とするし。事件報道があったのは事件から半年以上経過した2017年12月でしたが,神戸市はこの報道の後に各児童館に対して職員配置に関する確認しています('18/10/14『「加配」という措置』)。対策を進めるには遅い動きですが,いずれにしても職員数の確認だけが,事件に対応した対策ということのようです。事件当日の職員数は足りていた,制度上では職員は足りていたので,市に瑕疵はないと主張したいのでしょう。児童福祉法なり放課後児童健全育成事業(学童保育)なり,制度上で定められた職員数や施設面の確認は,当然遵守されるべきものだと考えますが,それは事件・事故が起こったから確認するというよりは,平時に行うべきことではないでしょうか。
 しかも,過失などが関連する事故であれば有効な場合もあるでしょうが,故意により発生する事件の場合は有効でしょうか。私たちが問うのは「バットで人を殴るという暴力行為」が行われた現場を考える時に有効な話ですか,ということです。2018年6月の議会答弁でも認めているように,加害児童は事件以前から課題を持つと把握されていました。そうした児童による暴力行為を「防ぐことができなかった」ことと,職員配置との関連性について何も説明されていません。私どもからの質問「事件から考えられる再発防止策」には,例によって答えていないのです。

 そして,この職員配置の問題が,事件初動期で発言されていたことに私は注目しています。事件から12日経った6月5日,私が「手打ち式」と呼ぶ,初めて現場に出向いた市の課長が「市としてもマンパワーの確保など、まだまだ協力していかなければなりません」と話していることです(’19/08/04『記録で確認する隠蔽・矮小化』)。マンパワーというのは,一般的には職員数に関連する言葉遣いではないでしょうか。つまり,事件初動期の課題に関し,再発防止策として職員数のことがあげられていたのです。つまりこの「職員配置」の問題は,矮小化された「事故」の中で,指定管理者にとっても市にとっても都合の良い理由として見つかったものでだったと考えられます。しかし,職員数の問題は,「事故」の要因としては有効であっても,「事件」の要因となり得るものでしょうか。つまりこれは,共犯の始まりを意味するものとして理解しています。

 以上の経過について,私なりに整理すると次のようになります。「事故」と矮小化された指定管理者からの報告に合わせて職員数の問題も課題としてあげて収束を図った。そこに「事故ではなく事件」とする被害者が現れたが,指定管理者と合意していた収束策を維持することにした。事件が報道されないことを良いことにそのままにしていたが,半年経って急に報道されることになり,再発防止策としていた「職員数の確認」もそのまま持ち出した(報道がなければ必要なく終われたが,そうもいかず)。それを今も維持している。私は,記者会見情報の古さも踏まえてそう考えるのです。そして隠蔽・矮小化された情報を維持することの意味は,「暴力を是認する」ことだということを改めて記しておきます。

 娘は,ずっと「子ども界」の勉強を続けてきており,事件前には松原児童館の課題にも気付いていました。そうした課題が暴力として自分に降りかかってくることまでは思いも及ばなかったはずですが,それはそれとしても,被害者だからわかる情報を持っていて,現場に即した事件の要因を考えています('18/10/05『考えられる事件の要因』)。そうした情報があるにも関わらず,調べようともせず,全てを指定管理者に押し付け(もしくは指定管理者に引きずられ),再発防止策も含む事件の全体像を考えようともしない「公」というものが,私には信じられないのです。