娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

神戸の児童館でまた,それ暴力

 今週,神戸市の児童館に関する事件報道がありました。兵庫区の児童館で5月,小2の女児が同じ小学校に通う小1~小3男児に,児童館の廊下で「殺すぞ」などと脅かされて服の一部を脱ぐよう迫られたり,目隠しをされて数人に体を触られたりするなどの被害を受けていたというのです。男児たちの行為は,明らかな「暴力行為」です。

 報道に触れた最初,「すわ,松原児童館?」との思いが過りました。館名は特定されていませんが,神戸の児童館となればそこから始まる脳構造になってしまいましたので,娘の事件と関連してさまざまな思いが巡ります。それ以上に,娘の事件を最初に聞いた時に「まさか小2男児が」との驚きがありましたが,今回も加害側が小1~3男児であるということに大きな意味が含まれると考えています。子どもたちの養育環境,それも幼児の頃からの中に暴力的要因が増えていることを意味する,との思いを強く感じます。いじめ・虐待・体罰・DV・ハラスメント・・・さまざまな形の暴力の報道にも触れてきましたが,そうした暴力が家族関係も含めた身近なところで起こりやすいことと,児童の行動の関連について,もっと深刻に考えなければならないように思うのです。

 それとともに,やはり大人側の対応の不備が目につきます。まず児童館職員。事件現場近くに職員がいたのに「遊びだと思って見過ごし」,翌日の職員会議で女児の家族に連絡することを決め,それから館長らが保護者に連絡する,というまことに緩慢な対応,何ともお粗末。児童館の危機管理,暴力に対する鈍感さは相変わらずのようです。
 児童館の設置者である神戸市・こども青少年課は,目撃していた別の児童の話で事態を把握したものの,翌日まで保護者に報告していなかったとのこと。把握してすぐ指定管理者と連絡をとらなかったのでしょうか?翌日,市から保護者に報告したのでしょうね?ただ市としての直接行動はしているようです。娘の事件では,事件現場情報も持たず指定管理者に依存した状態を続け,今もって「指定管理者」マターのままにされています(’19/07/29『「指定管理者」という隠れ蓑』)。この大きな違いの理由はなぜなのか,公の場で示してほしいものです。いずれにしても,指定管理者依存を脱却し,市としての主体性ある行動を取り戻してほしいと考えています。
 児童の通う学校では,重大ないじめと捉えて関わった児童を指導したとのことで,それはそれで評価しなければならないのかもしれません。娘の事件に関しては,加害児童たちが通う明親小学校長と面会して事件情報の交換を要望した娘に対し,「指導の範囲外で発生した」から関係ないという内容の教育長回答をもらっています(’19/06/30『隠蔽がもたらした影響を市教委にみる』)。小学校と児童館は密接な関係を持っているわけですから,本来のあり方に近付いているようには見えます。

 そして,これら関係者全部に共通することですが,なぜ事件発生から2カ月以上も経過してから報道されることになったのでしょう。私はこの問題は暴力行為だと最初に記しました。暴力行為を減らすためには,暴力がわかったらできるだけ早く表面化させ,原因を詳しく調査し,それをもとに加害者の矯正や再発防止に取り組むことが肝要と考えています。娘の事件では,隠蔽から始まったため報道されることはなく(そのお蔭で調査開始も1カ月遅れた),娘自身が動き回って記者と接点を得なければならなかったので,半年以上もかかりました(’19/02/27『隠され,偽られた事件情報』)。いずれにしても,暴力行為を早く社会に知らせるようになってほしいと考えているので,公表まで時間がかかるような事件は疑うことにしています。そのように考えると,2カ月以上表面化させなかったのはなぜでしょう?表面化するきっかけは何だったのでしょう?そこはぜひ明らかにしてほしいものです。

 そして私が最も気になっていること。遅れた2カ月の間に被害女児が他の小学校に転校したとのことで,これについて被害女児の父が語った「被害者側がなぜ引っ越さなくてはいけないのか」との言葉を軽く考えないでほしいということです。事件直後はもちろん,被害者の辛さはこれからも続くことになります。女児の心のケアも行われているだろうとは思いますが,その辛さはなかなか一般には理解できないものがあります(’18/12/10『犯罪被害者という社会的弱者』)。被害女児の「転校」は,被害者側にだけ事件の重荷を負わされる構図が残されているように感じられてなりません。