娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

共有された情報は事実なのか

 2018年6月26日,神戸市会本会議で小林るみ子議員が事件に関する質問をしました。答弁に立った寺崎副市長は,被害者に対して「心からお見舞いを申し上げる次第」との言葉もありましたが,見舞いの言葉は被害者に直接会って伝えてから公表,の順番で行うべきだと不満を記しておきます。

 議員から児童館・小学校の情報共有に関する質問が出され,副市長は「指定管理者から情報を得ている。情報は関係者で共有されている。連携しながら情報を共有して参りたい」と答えています。
 指定管理者の作成資料を見ると,事件翌日に児童館長が小学校を訪問して「児童館の処遇」を伝え,不在だった小学校長から「事故についてお詫びの一報をいただく」とあります。また,被害者からの被害届提出についても,6月28日に被害者が指定管理者を訪れた後の7月5日に児童館の「開放委員会」があり,これに出席した小学校長と市こども青少年課担当で「現状を共有」とあります。児童館と小学校での情報共有は確かに行われているようです。

 しかし問題は,その情報の中身,「児童館の処遇」の中身です。このブログで何度も書いてきているように,指定管理者の情報は当初で矮小化されています(’19/08/04『記録で確認できる隠蔽・矮小化』)。最初の小学校への報告は,軽易に書き換えられた内容のものだったはずです。小学校から市教委への報告は行われていませんので(’19/06/30『隠蔽がもたらした影響を市教委にみる』),小学校もその程度の軽い話として受け止めたはずです。指定管理者が被害者に事件現場の話を直接聞くことはありませんでしたし,被害者が見た事件現場(’18/10/05『娘が見た事件現場』)や児童館の不穏な空気(’18/10/05『考えられる事件の要因』)などの話は,広められたくもないはずです。

 逆に,被害届が提出された後の情報はどう受け止めたのでしょう。指定管理者は自ら書いたシナリオが狂わされたことへの抵抗を含めて伝えているでしょうから,「現状を共有」されたその内容をこそ知りたいところです。事件翌日から接してきた情報と,そこでは想定されていなかった被害届提出の動きから事件の全体像をどのように把握しようとしていたのでしょう。加えて,この後の10月に加害児童は児童相談所に通告されることになるわけで,そのことを学校長としてはどのように受け止めたのでしょう。それまでの情報を整理する中で,疑問はわかなかったのでしょうか。むしろ指定管理者の情報に依存を強める神戸市こども青少年課の存在もありますので,そこを安易に受け入れていた,要するに疑問を持たないことにした可能性は考えられます。私は小学校の関係者も,何らかの疑問を感じていたのではないかと推測しています。

 児童館と情報を共有していた小学校長との面会を希望した被害者に対し,神戸市教育長からは「在校児童に対する指導の範囲外で発生した事案」に関し,「面会してお話しさせていただくことは難しい」との回答を受けています。明確に面会「できない」とはせず「難しい」と書くあたりは,何らかの意図を感じられるところです。それはそれとしても「指導の範囲外」という回答は,市会本会議での情報共有の話とは異なる意味合いの回答になります。加えて,この時の市会常任委員会や本会議では,加害児童が1年在校時から,課題のある児童として小学校・児童館・保護者で話合いを持たれる対象になっていたことが市から説明されています。その対象児童が事件を起こしたことに対して,そんなつれない回答で済む話でしょうか。

 この回答が,今年8月に発覚した児童館の事件での小学校の対応とは大きく異なることは既に指摘していますが(’19/08/09『神戸市の児童館でまた,それ暴力』), 改めてこの事件を報道から拾うと,小学校では「重大ないじめ事案と捉え、関わった児童を指導した」とあります。いじめ防止対策推進法の「重大事態」や文科省の「いじめの定義」にも該当する事案でしょうから,それなりの対応をしているということだと理解はしています。当然の対応と考えますが,そうなると,上に記した教育長の回答とは雲泥の差になります。被害者が女児と職員の違いだけで,こんなにも対応が違ってしまうのでしょうか。

 そのように考えると,教育長の回答は,矮小化された情報を共有する者同士では会えるけど,共有していない人とは会えない,とも読めることにもなります。そこが本音でしょうか。市こども青少年課が使う「被害者に会う立場にない」と同じ意味でしょう。このあたりは,まさに情報だけでなく,戦略も共有されているといえます。被害者から見れば,単なる情報の共有というよりは,共犯という言い方が適当としか思えません。