娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

ノウシントウ,知っていますか?

 娘は現在,複数の病院に通院して診察・治療を受けており,中でも脳震盪(のうしんとう。「脳振盪」とも。以後はカタカナで)の専門医の診療を得るようになってから,冷静に自分の体を考えられるようになり,中心的で重要な診療になっています。しかし,事件直後,ノウシントウのことが省みられることはありませんでした。娘はバットで頭を殴られて片側の聴力を失っていますが,このことは殴られた頭への衝撃力を物語っているはずです。私は頭部にそれだけの衝撃がかけられたら救急車を呼ぶのが当たり前,それが世間では常識だろうと考えています。しかし,児童館の指定管理者から送られた資料には救急車が登場しませんでした。それに対する疑問を呈した被害者側に対し,指定管理者は「救急車を呼ぶほどの状態ではなかった」とし,その後も訂正されないままにあります。

 ノウシントウについて簡単に触れておきます。脳は頭蓋骨の中で浮かんだ状態にあり,頭や顔に衝撃を受けると揺すられてダメージを受け,それに伴って起きるのがノウシントウです。代表的な症状は「意識消失」と「記憶障害」とされ,重症の場合は数時間に及ぶ意識消失もあるとされます。診断に関しては,CTやMRIなどの画像検査上では異常がないことがほとんどで,多くは本人や周囲にいた人からの丁寧な問診から判断されるとのことです。集中力や注意力など認知機能の障害やめまい,疲労感,頭痛,睡眠障害などさまざまな後遺症が続くこともあるとされます。一度ノウシントウを起こすと同じような外傷で再びノウシントウになる危険性が上がることや,将来になって様々なダメージが出てくることも明らかになっており,深刻に取り扱うべき症状とされています。(以下では,この段落を「概要」と記します)

 指定管理者が救急車の出動を求めなかった理由について,「すぐに意識が戻っていたから」と言います。支えられながらも現場から歩いて児童館に戻ったことや他の職員とも会話をしていることから,「意識があることは明らか」との見方です。
 しかし,概要にある「意識消失」は,それまでの行動が継続されるものの,本人には記憶が残らない状態とされます。TV放映中に起こった実例を記しておきます。2018年11月20日に行われたサッカー・キリンチャレンジ杯で日本チームのDF槙野智章選手が競り合いの中で転倒して頭部を強打しています。2019年3月30日にフジテレビで放映された特番で,爆笑問題太田光さんが転倒して頭部を強打しています。ともに直後には関係者と会話したりしていますが,事故時の記憶を失っており,そのことを報道などで語っています。これが意識消失です。娘が記憶を取り戻すのは病院で診察を受けている時なので,事件発生後2時間は経過しているはずです。概要で考えると「重症」です。指定管理者が強調する「意識が戻っていた」状態が,ノウシントウの専門医からみると「意識消失」の状態にあることは明らかで,ノウシントウに対する情報があれば理解できる話です。

 ついでに「記憶障害」について記しておくと,娘は20数年しか人生歴はありませんが,その中の一部の記憶を取り戻せずにいます。お世話になった方々を思い出せない辛さや申し訳なさについて語った言葉を,やるせなく聞くしかありませんでした。

 次に,病院の対応についての疑問もあります。神戸市に対する質問の中で救急車の出動要請に触れたところ,指定管理者から「念のため指定管理者の車で市内有数の脳神経外科を有する病院及び総合病院に搬送し」,「二つの病院いずれでもCT検査を実施し、いずれも異常なし」とする指定管理者の報告があったとの回答でした。上記概要で考えると,CT検査そのもので終わって良かったのか,という疑問が湧きます。「ヤブ医者」だと言いたいわけではありません。概要にも「本人や周囲にいた人からの丁寧な問診から判断される」とあるように,付き添った人間が医師に対してどのような説明をしたか,が重要なポイントになるのです。

 救急車が出動していれば,多くの検査を受けたうえでノウシントウの診療もスタートできたはずです。しかし,無知な(狡猾な)指定管理者が先導する形になったため,ノウシントウの診察に至るまでに無駄な時間を重ねなければなりませんでした。概要にもある「疲労感,頭痛,睡眠障害などさまざまな後遺症」など,体が出す悲鳴の一つひとつと向き合いながら医師を訪ねる時間が続けられ,何とかノウシントウの専門医にたどり着いたという経過がありました。

 先の概要には,「診断及び治療開始の遅れにより慢性的な不定愁訴や身体障害の後遺症に進展することもある」とありますので,これからも油断することのない暮らしを続けることになります。

 いずれにしても,「頭をうったら,救急車」。このことを誰にも知ってほしいし,広めてほしい。それが私の願いです。