娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

教員間いじめ,学校の行為は隠蔽です

 神戸市は子供の周辺に関する事件が本当に多いなぁ,という印象を持っています。娘がバットで殴られてからずっと神戸市の子供絡みの事件は注目してきたつもりですが,今度は子供を教え導く立場にある教員のいじめです。子供たちのいじめが社会問題化している時に,いじめを一番警戒しなければならない職業にある人たちの,呆れ果てて怒りしか覚えない行いです。

 主要メディアが報じ,ネット大炎上の事件ですが,とりあえず報道から拾っておきます。神戸市立東須磨小学校で,20代男性教員が同僚の先輩教員4人から暴行や暴言などのいじめを継続的に受けていました。先輩教員たちがやったことは,羽交い締めにして激辛カレーを目にこすりつけた,コピー用紙の芯で尻をたたいた,被害教員の車を傷つけた,車の中に飲み物をわざとこぼした,ほかの同僚女性教員にわいせつなメールを無理やり送らせた etc。暴言を浴びせることも日常的だったようです。暴行・傷害・暴言,明らかな暴力行為です。いじめというより犯罪。
 被害教員は精神的に不安定な状態になり,療養のために休んでいるとのことですが,こんな悪質ないじめを受けて平常でいられるわけがありません。大人のやることではありませんし,子供の前に立つ資格を自ら捨てる行為で,「そんなこともわからんのか!」です。このような明確な暴力行為をおざなりに済ませてはいけません。暴力を繰り返さないためにも刑事告発すべきです。

 ただ,ここで特に私が触れたいのは小学校の対応です。報道から一連の学校の対応を整理すると,概ね次のようなことになろうかと思います。加害教員からのいじめは昨年から始まります。今年6月頃,小学校の教頭が複数の教員からの相談をきっかけにいじめを把握します。加害教員を口頭で指導し,7月になって市教委に「過度にからかう行為があり指導した。校内で解決した」と報告します。しかし,その後も被害教員は暴言を浴び,9月になって学校を休みます。被害教員の家族から訴えがあり,市教委が事実関係の調査を始めます。その調査結果を受け,10月3日に保護者説明会を開き,翌4日には報道が行われるとともに,児童たちへの説明が行われました。

 加害教員の行為は明確な暴力ですが,学校はその行為に向き合っていません。「過度にからかう行為」と暴力の違いを何と考えるのでしょう。学校という組織を構成する教員の中で起きたことなので,組織の中で解決できると思っているのかもしれません。教育という専門性の高い職場で,自分たちの世界の論理で解決できると考えるのかもしれません。しかしそれでは,同じ失敗が繰り返されることにしかつながりません。
 それ以上に,犯罪につながる暴力を組織の中で済ませようとするのは隠蔽です。世間体のことはずっと意識されていたはずです。暴力の解決は,組織の中ではなく社会に引きずり出して行うべきです。組織の外側からの視点が入って初めて客観的な事実が浮かび上がります。このブログでも何度か書いてきましたが,暴力が判明したら躊躇なく暴力対応の専門家である警察が調べるべきです。どのような暴力があったのかをきっちりと調べ,それをもとに次の段階へ進むしかありません。

 今回の事件に対する学校の行為は,明らかに隠蔽だと私は考えます。暴力行為に苦しめられる被害者がいるのに,その被害の実態を確認もせず「校内で解決した」と報告したわけですから。それは加害教員の暴力を容認することを意味します。被害者にとって,これ以上の苦しみはありません。だから,加害教員への口頭注意後の9月になっても,被害教員が休まなければならなくなるのです。隠蔽というものは,被害者に対して苦しみの追い打ちでしかないことを忘れないでください。

 組織を優先する考え方は隠蔽を生み,被害者の苦しさを増幅させます。私の娘は今もその苦しみの中にあります。神戸市こども家庭局とその指定管理者のせいで(’19/09/28『指定管理者はノウシントウを知らなかっただけなのか』)。それに比べれば,今回の市教委は少しは機能しているようです。学校を指導監督する役目に向き合っているように見えるから。事実を大事にするために隠蔽を許してはいけません。未来のためにも。