娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

親の暴力への鈍感さが子に及ぼすもの

 暴力に対する「感度」とでもいう部分は,やはり世の中的には余り高くないと思っておいた方が良いのでしょうか。そんなことを考えせる事件を今月の報道から拾いました。

 大分県日出町の小学校女子バレーボールのクラブチームで起きた事件です。事件をなぞっておくと,今年6月初旬の練習中に,長年指導にあたってきた50代の男性監督が,女子児童を叱責して平手打ち,別の女児の首をつかまえて顔を床に押さえつけたというもので,この監督にはこれまでもそうした行動があったようなので,体罰は繰り返されていたのでしょう。県内でも強豪チームとして知られる実績を持つようですが,だからと言って肯定される指導ではないはずです。スポーツ指導者の体罰は,近年は特に暴力として批判されるようになりました。現在の大河ドラマ「いだてん」では1964年の東京オリンピック招致を題材にしているので,この時の日本女子バレーボールチームの話も取り上げられています。名物監督のもとでの過酷な練習は当時も話題になっていましたが,これを体罰・暴力と受け止める世論はなかったように記憶します。何しろ彼を主役とする劇映画まで作られていましたから。ただ,この20年前には精神論で戦争に臨む上下関係の厳しい軍隊や,人権意識もない社会だったことを忘れてはならないと思います。それから半世紀も経った来年の東京オリンピックが待ち構える現代に,半世紀以上前と同じような指導が存在することは疑問です。スポーツ界の指導者やトップアスリートには,高い頂きと広い裾野を視野に入れながら,未来のスポーツ界に率先して変えていくことを期待したいと思います(日大アメフト部違法タックル問題が不起訴になった報道も今月ありましたが,世間的な感覚と司法判断の距離を改めて考えさせられました)。

 それはそれとして,私が今回の事件で注視したのは,この監督の行為に対する大分県小学生バレーボール連盟の対応です。この問題は7月に日本小学生バレーボール連盟へ訴えがあり,連盟は監督や被害女児に事情を聴くよう県連盟に連絡したようですが,県連盟は監督やコーチと一部の保護者の聴取にとどめ,被害女児やその保護者に聴くことなく,10月に「体罰なし」と認定したというのです。この問題について調査を始めた町教委(町スポーツ少年団事務局)は,被害者の話を聴いたうえで暴力行為を認定したようですが,県連盟の方はもう,隠蔽でしかないですよ。

 もう一つこの事件で解せないのは,同じクラブチームに子供を入れている保護者たちです。一部の保護者たちが,体罰の事実を外部に漏らさないよう保護者全員に誓約書への署名を迫っていたというのです。日本連盟に被害が訴えられた後,チームに所属する女児やOGの保護者による保護者会が開かれたようです。この保護者会では,日本連盟への通報者捜しが行われ,疑われた親が正座させられ,リーダー格の保護者による詰問もあったといいます。男性保護者から,指導者の批判はしない・チーム内で起きたことを公言しない・指導者や保護者らの行為を関係協会や団体に訴えない,などの内容の誓約書を配られ,集まった保護者全員に署名を迫ったというのです。そして,この誓約が守られていない場合は子供の退部を受け入れ,異議を述べないとの説明もあったようです。取材記者に対し複数の親から,体罰の何が悪い・連盟に報告した親は我慢を知らない・密告したら子供に返ってくる・バレたら子供は高校に行けない・チームの存続が危うくなる・監督が職を追われる・全国大会に行くためにだから・下が上に教わるのが社会体育,と体罰を肯定する言葉が返されたともあります。こうした言動は暴力・隠蔽の容認だけでなく,加担だと考えています。この保護者たちにはその自覚はあるのでしょうか。記者に「チーム内で話し合っていないのに外で言うのはおかしい,体罰と指導の違いは考えたことがない」と明言した人もいたようですが,自分たちが閉鎖された小さな社会にいて外側の世間とのズレに気付けないでいることは明白です。主役が誰かも忘れています。そうした親の行動が子供にもたらすものは何でしょう。私は暴力の再生産しか思い付きません。

 私がこのことにこだわるのは,事実が隠蔽されると「被害者が苦しめられる」ことを経験したからです。重い治療を繰り返している娘に対し,神戸市や指定管理者は保身のために矮小化した内容しか世間に示しませんでした。彼らには,二次被害を引き起こしている自覚が無いようです。今回の事件は,世間に露呈するまで5カ月も時間がかかっています。先に記した心無い保護者たちや県連盟の存在を考えると,被害者とその保護者の苦しみは大変なものだったはずです。個を泣かせ,集が笑う社会は良い社会ではないと考えます。被害者を過酷な状況に置くことをなくしたい,多くの善良な世間の人にはそういう感性を醸成してほしい,というのが私の思いです。