娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

この1年も疑問はそのまま

 平成の最終年・令和の最初年が間もなく終わります。娘の事件にとってのこの年をポイントを記しておきます。

 このブログをこれまでご覧になっている方にはわかると思いますが,事件に関して私がずっとこだわっているのは「事件の真実が語られていない」ということです。それはこれまで何度も書いてきたとおり,事件現場である児童館の設置者である神戸市と児童館の指定管理者が真実をないがしろにしているからです。

 娘は事件から2年半を経過した現在も,複数の病院で後遺症に伴う治療を受けています。私はその中でもノウシントウの治療を重要視しています。バットで頭を強打されて昏倒したにも関わらず救急車を呼んでもらえなかったことで初期治療が遅れた分,丁寧な治療を重ねる必要があると考えているからです。体の各所に大事な指令を出す,命をつかさどる脳のことですから。なのに,ノウシントウの専門医にたどり着くのに1年半もかかってしまいました。指定管理者は救急車を呼ばなかった理由について,普段と変わらない反応をしたからというような理由を並べています。去年までは,指定管理者はノウシントウの症状とその重さを知らない,無知だからと見ていました。しかし改めて彼らの資料を読み直してみると,事件を軽易な事故と偽る,隠蔽・矮小化するための行動であることがより鮮明に見えてきたように思います。

 神戸市の対応はこの指定管理者からの報告から始まります。指定管理者の作成資料では,報告を受けた市の担当が「市として特段対応する必要はない」ので「メモで良いので内容を送って」という反応をしています。バットで故意に殴られたという事実と,それによってもたらされた娘の症状を考えると,「それはないでしょう」というのが被害者側の感想ですが,最初の一報がそうしたレベルだったことは明瞭です。神戸市はこの矮小化された情報を鵜呑みにしたままで,事態を収束の方向に進めます。その意味では,その後行われた被害者からの被害届提出は異議申立てを意味するものだったはずですが,神戸市から被害者への情報収集はありませんでした。というか,まったく接触ナシです。警察の調査で殴った児童が児童相談所(児童館担当と同じ「こども家庭局」の「こども家庭センタ-」)に送致された,つまり暴力行為が確認されたにも関わらず,その児童のことにも無関心状態のままでした。結果,事件後7カ月隠された事件が報道されるに際しては,指定管理者の報告に沿った発表が行われました。被害者を敵対者と見なしたようです。とても公正公平な立場にあるべき自治体の対応とは思えませんでしたので,昨年5月に質問状を提出しましたが,納得できる回答はありませんでした。それもあって今年3月に改めて質問状を提出しましたが,前回の回答文をコピペする,虚しさだけが増幅させられるような回答ばかりでした。文字が可哀想になるほど質問とかみ合わない回答が繰り返されました。意図して書けるのであれば,かなり高い能力といえますが・・・。何より,質問に対する多くの回答で「指定管理者の報告では」という言葉が繰り返されます。指定管理制度による委託先が,受託者の情報しか持たない状態に疑問を感じていないようです。受託者の情報にのみ依存するということは,指定管理制度のあり方で考えても特異なことではないのでしょうか。ここのところは地方自治制度に詳しい方にも聞いてみたいところです。

 今年5月に神戸市の児童館で,小1~小3男児が小2女児に脅されたり体に触られたりしたという事件が,8月になって報道されました。児童館担当のこども青少年課では,事件直後から事態の把握に動いていたことが報道からうかがわれ,それ自体は悪いことではないのですが,指定管理者任せで何もしなかった娘の事件との対応の違いはどこから来るのでしょう。娘の事件で学習したからでしょうか。また,事件後報道されるまでの期間が2カ月以上空いたのはなぜでしょう。娘の時の7カ月よりは短くなったのは良いとしても,なぜ直後ではなかったのでしょう。聞きたいところです。そしてこの事件後の期間において,被害女児は転居・転校を余儀なくされ,父親は「被害者側がなぜ引っ越さなくてはいけないのか」と憤ったとの報道でした。その後の報道が見つからないので以降のことはわかりませんが,そのお怒りごもっとも。神戸市は相変わらず被害者には優しくない,ということがここでも繰り返されています。だから私もこのブログをやめられない。

 この1年も疑問はそのまま,むしろ増幅したと思っています。合わせて隠された事件の構造も少し見えてきたようにも感じています。