娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

学童保育の職員の質は?

 これも昨年末の新聞記事からなので旧聞な気もしますが,学童保育に関する報道なので触れます。娘が児童にバットで殴られましたのが,児童館で学童保育に従業中でしたから。

 記事の内容は,昨年5月1日時点で学童保育を希望するもののかなわぬ待機児童が「最多の18,261人」と厚労省が発表したというものでした。厚労省のHPでは学童保育について,「授業の終了後等に小学校の余裕教室や児童館等を利用して適切な遊び場及び生活の場」を与えるとしています。4年前の「保育園落ちた日本死ね!」のネット投稿で待機児童という言葉も広まりましたが,学童保育(正式には放課後児童クラブ)も保育園と同じ様な状況にあるわけで,働きたくても働けない親がたくさんいるということにもなります。
 この記事では,待機児童が多い状況を具体的に数字で示し,質の確保も課題であることを記していますが,私が反応したのは記事の最後にある「来年度からは『従うべき基準』としてきた職員の配置や資格の基準が事実上撤廃される」とあったことです。このこと自体は2018年11月,内閣府主催の地方分権改革に関連する会議の配布資料の中に,「放課後児童クラブの職員数や資格などを『従うべき基準』から『参酌すべき基準』へ」と緩和する方針を示されてからだと思います。娘の事件の後なので,「まさか」の思いで読んだ記憶があります。

 学童保育の職員については,統一された資格要件がないままに進められてきた時代が長くありましたが,2015年度からは事業所ごとに「放課後児童支援員」を配置することが義務付けられるようになり,1事業場「おおむね40人以下に2人以上」とし,うち1名を「補助員に代えられる」制度になっていました。しかし,地方によってはこの支援員の確保に難渋する事態が増えていることから,職員資格を緩和しようというわけです。
 学童保育に通う子供たちは,小学校の放課後に集まります。小学校では資格を持った専門職としての教員が児童の相手をしているわけですが,同じ子供が集まる学童保育ではそれほど厳しい資格を求めないという現状があります。教員の場合は教科を教えるからということもあるでしょうが,現在子供たちが抱える問題には,いじめのように「遊び場及び生活の場」でのことが多くなっていると私は考えています。だから「緩和」の方向に進むことには釈然としないものがあります。最初の報道で感じた疑問もここです。
 もちろん,冒頭で紹介したような「待機学童」がかなり多数にのぼっているという現実があることも理解できます。保育園の待機児童もまだ解消にほど遠いようですし,わかりやすい「数」が達成目標にしやすいので,まずは「質」より「数」を優先するということなのでしょう。こうしたことに限らず,目に見える数を目安にし,結果それをゴールと思い込むことが今の社会の姿だとは思っています。ほとんどの場合。しかしこうしたことの繰り返しの中で,大切なこと,コトの本質を見誤らせているのもこの社会の姿のようにも考えています。いずれにしても,学童保育の質,未来はどうなるのでしょう。

 娘の事件において神戸市や指定管理者は,加害児童がバットで娘を殴ったのは野球ができない不満からという簡単な説明で済ませています。しかし,指定管理者が作った資料の中でも事件現場の「唯一の大人」とされる娘からは,市も指定管理者も何も聴取していません。加害児童が事件以前から問題行動を繰り返していたことにも触れていませんし,事件現場で加害児童をそそのかした仲間がいることにもフタをされたままです。児童館自体の中に暴力的要素が生まれていたことは明らかです。
 昨年5月,神戸市兵庫区の児童館での学童保育中,小学2年の女児が同じ小学校に通う複数の男児に服を脱ぐよう強要されたり,体を触られたりするなどの被害を受けていたことが8月になって報道されました。この事件と娘の事件現場が同じ児童館ではないようですが,児童館の日常の中に児童の暴力的行動が生じていたことは明らかで,それは娘の事件とも共通することです。児童館に集まる児童の暴力性にどう向き合おうとしているのでしょうか。報道では,神戸市は「全ての市立学童保育施設に速やかな事後対応や施設内の死角解消などを求める通知を出した」とありましたが,児童の暴力的な行動に対する「質」の確保がうかがえません。大丈夫でしょうか。

 私自身は娘の事件以来,学童保育の世界に疑いを持っています。何しろ事件の時,指定管理者はバットで頭を殴られて倒れた娘に救急車は呼んでくれなかったし,市への報告は軽易に矮小化するし,被用者に対する見舞も含めて一銭も出さない人たちですから。娘が被害届を出したことを「子供を警察に売った」的流言もあるやに聞いていますし。あ,これは「質」の問題ではなく「悪意」の問題ですね。