娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

娘の事件,加害児童の小学校はどう受け止めた

 先月上旬,「神戸市教委係長が自殺か」とする報道がありました。この係長は昨年4月に市長部局から出向して教育委員の会議を担当し,昨秋の東須磨小学校教員間暴力事件発覚後は,会議の開催頻度が増えたとの記述もありました。いずれにしても,自殺者が出るということは,助け舟を出せない組織ということになりますが,それにしても神戸市,事件が続きますね。以前にも記しましたが,私ども親子は教育委員会にも要望書を提出していましたので,それを思い出しながら報道をみていました。改めて教育委員会とのやり取りを振り返ろうと考えていますが,前提として加害児童が通っていた小学校が,事件にどのように向き合ったのかについて整理しておきます。

 松原児童館作成資料から拾います。事件は,2017年5月24日に発生します。午後4時からの外遊びのために児童館を出た際,娘は指示を守らず野球用具を持っている上級生を注意していた背後から,小2男児に頭部をバットで殴られます。事件現場にはさまざまな疑問が残されていますが,それについてここでは触れません。この事件の翌日午後3時,施設向かいにある小学校に知らされます。児童館長は小学校に教頭を訪ねますが,不在なので加害児童を知る教諭に,事件と児童館の処遇(退会)を伝えて児童館に戻ります。「そして」なのか「その後」なのか迷いますが,これより30分前の午後2時30分に,小学校校長から「当校の児童が起こした事故についてお詫びの一報をいただく」とあります。ここの時間逆転の理由は不明です。基本的に信用度のある資料とは思っていないので,ここは流します。

 では,伝えられた内容「事故」と「児童館の処遇」はどうだったのか。「事故」について。事件現場に居合わせた子供たちの事情聴取は学校訪問後なので,前日夕刻の事件発生から病院に連れて行ったことを中心に館長の記憶から語られたものでしょう。そこが不明なので,発生当初の情報発信を確認したくて神戸市に事件関係資料の情報公開を求めましたが,彼ら得意の「プライバシー」に連なる理由でほとんどが隠されたままでした。ただ事件翌日,児童館が神戸市に入れた最初の連絡に対し,市こども青少年課の担当者が「市として特段対応することはないが、状況が落ち着いてからメモで良いので内容を送ってほしい」と答えていますので,イタズラに毛が生えたレベルのものだったと推測しています。しかしそれは,娘の頭(脳)に残された大きな傷跡とは異なるレベルの話になるので,だから私は許せないのです。
 「児童館の処遇」については,学校訪問前の午後2時からのミーティングで「処遇(退会)を発信する」とありますから,早々に学童保育の退会を決めた模様です。これについては次回に理由を記します。

 その後,児童館資料に小学校が登場するのは,6月28日になります。この日午前,私と娘は児童館指定管理者の事務所を訪問し,「被害届を出してきたので警察の調査に協力して」くれるよう伝えています。被害届は指定管理者側としては想定外だったはずです。この日午後3時以降の時間帯の中で,小学校の教頭に伝えられます。
 そして1週間後の7月5日に「児童館の開放委員会」が開催され,小学校校長と「現状を共有する」とあります。被害届提出に関してどのように話し合われたかは,もちろん不明です。しかし,事件の詳細については児童館の手元にしかありません。市も小学校も独自に検証という動きはしてないはずですので,この時点でも児童館が主導する形の「共有」だったはずです。事件を主導した児童館としては,ここまでの経過を予想外の方向に崩す動きでしかない被害届提出を歓迎するはずはありませんので,被害者が「事件を警察に売って大げさに騒ぎ立てた」みたいな話の「共有」だったことだろうと想像しています。小学校はその共有の中にいます,この後も。ただし,それが児童館で起きた暴力の許容と加担であることを改めて指摘しておきます。