娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。苦しむ日々が続いています。事件について考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)です。

自分の暴力性を自覚できないとは

 昨年1月に千葉県野田市で起こった児童虐待死事件に対する裁判員裁判の判決が,先月19日に千葉地裁でありました。小4女児の我が子に対し,父親が食事や十分な睡眠を与えず,浴室で冷水シャワーをかけ続けるなどして死亡させたという衝撃的な事件でした。
 父親は傷害致死罪などに問われました。裁判長は起訴された6つの罪を全て認定,「尋常では考えられないほど凄惨で陰湿な虐待」とし,これまでの虐待死事件を上回る懲役16年の判決を言い渡し,「先例を超えて極めて悪質性が高い」としています。判決理由の中で「理不尽な不満のはけ口として虐待を常態化させた」と指摘し,1年2カ月余りも虐待を受けて死亡した女児について「未来への希望を抱く年代に、社会からも身内からも助けてもらえず、実父から虐待を受け続けて絶命した無念さは察するに余りある」と述べています。

 父親は虐待行為を含む事実関係の多くを否認しています。弁護側では,父親は精神的に不安定だった妻に代わって家事や育児を一生懸命やり,家族を愛して幸せな家庭を築こうとしていたなどと主張したようです。また,父親の虐待行動の原因は女児の側にあり,暴行の程度も検察が言うようなひどいものではないとも主張しました。でも,女児は父親の暴力で亡くなった事実とは違い過ぎる主張です。
 裁判では,携帯電話に残された虐待行為の動画も映されたようです。映像を残す行為そのものに冷酷残忍なものを感じます。裁判当初には傷害致死罪などは争わないと述べたこともあったようですが,その後は虐待を否定し続けています。自分がやったことは虐待ではなく「しつけ」,あくまで子供ため,家族のためとしたいのでしょう。母親や担任の先生などの証言を全て嘘だと言い張り,原因は「娘が嘘をついているから」と主張したようです。自分は欠陥のある親ではない,真っ当な父親だと言いたいのでしょう。虐待などしない親であることを裁判の場で認めて欲しかったのでしょうか。プライド?自分の子供を殺めたというのに,自身のことしか頭にない。私は強い憤りしか覚えません。虐待死事件の懲役刑としては異例の判決とされますが,私はそれでも軽いという印象すら持っています。

 ただ,裁判によって虐待の具体的な行為が明らかにされたこと,虐待の実態を知らしめたことはそれなりに意義があると考えています。刑法犯全体の件数が減る中で子供の虐待が増えていることについて,以前これを憂える文章を掲載しました(『虐待が増えていることの意味』)。虐待の全体数のことには触れましたが,個々の虐待には触れないまま書いたものです。今回,一つの虐待の実態が世間に示されました。(残念なことですが,判決を不服とした父親は3月31日付で控訴しました)
 今回の犯行は悪質な虐待の典型的行動かもしれませんが,実の親であっても子供に対してこのような虐待をする親がいる,そうした暴力性を自覚できない親が増えている現実があります。そのことは一方で,暴力に襲われる子供たちが増えていることを意味します。虐待された子供の記憶や体に残されたものが,その後の人生の大きな影・荷物となることは既に指摘されています。時には暴力の再生産にもつながります。そのことを忘れてはならないと思います。

 暴力は全く見知らぬ間柄ではなく,知っている間で起こることがほとんどです。最も身近な家族の間で行われる暴力が虐待です。虐待が増えている背景として,社会の変化に伴うストレスが個々人に蓄積していることが影響しているのだろうと,個人的には理解しています。現在の最も大きな社会課題である新型コロナウイルスに関連し,ヨーロッパでは多くの国が都市を封鎖し厳しい外出制限措置を取っています。その影響で,家庭内暴力の増加が深刻な問題となっており,英仏やオーストリアでは対策も取られ始めています。長い時間自宅にこもらなければならないストレスが一因と考えられるからです。
 日本でもこのことを深刻に考えなければならないはずです。家庭の中での暴力が増えている中でのコロナ禍です。「自粛」の中で日常生活のリズムが乱れ,ストレスが溜められることで,増えつつあった虐待やDVなどがさらに増えるであろうことを心配しています。既に被害者支援組織から対策の要望が国に出されてもいます。暴力の機会が増えること,自らに潜む暴力性や身近にある暴力性を自覚できない大人が増えることを憂慮しています。私は,暴力を軽く考えている人たち,暴力を容認する大人たちを相手にしているので,そのことが余計に気がかりなのです。