娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。4の付く日に更新しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

少年の暴力はどこで生まれるのか

 また少年による殺人事件が起こりました。今月23日に最初の報道があった事件です。3月下旬,岐阜市内の橋の下で暮らす81歳のホームレスの男性と一緒に暮らす女性の2人が,何者かに石を投げつけられてその場から逃走,約1キロほど離れた路上で女性が振り向くと男性が倒れていたといいます。女性は数人の男に蹴られたと110番通報し,その後男性は搬送先の病院で死亡が確認されます。男性の死因は脳挫傷と急性硬膜下血腫となっています。
 警察は岐阜県内在住の少年3人を殺人容疑で,2人を傷害致死容疑で逮捕します。5人はいずれも19歳の友人同士で,男性を追い回して石を投げるなどの暴行は認めているようですが,強い暴行を行ったか途中で暴行をやめていたかの違いが逮捕容疑の違いになったようです。逮捕された少年のうち2人が岐阜県内の私立大学の現役硬式野球部員で,ほかの2人も元部員だったことを大学が認めており,大学は硬式野球部を無期限の活動中止にしたようです。
 被害を受けた女性は3月中旬以降「若い男女に石を投げられた」と4回警察に相談しており,逮捕された5人を含む男女約10人のグループが暴行を加えていたとされます。逮捕された5人は,事件前からホームレス男性の名前などを把握しており, この男性らを標的として襲うことを計画的に進め,事件当日も襲撃するため現場付近に集まったとみられています。彼らはこのホームレス襲撃をゲーム化していたことになります。命を弄んだわけで悪質としか言いようがありません。

 少年とはいえ,成人の入り口に差し掛かっている年齢になりますが,少年事件の中では複数が一人の人間に暴力を振るうという場合が多いようにも感じられます。群れることでエスカレートする暴力性,みたいな。いじめにも通じることかもしれません。娘の事件では直接的な暴力行為を行ったのは小2の児童でしたが,日常的にこの児童の気持ちを昂らせる行動を取る上級生が4人いました。小2児童の暴力行動は,1人の上級生が指示の声を発したことで暴力が起こされています。事件が起こった時点での児童館には,彼らによる日常の暴力的な行動に対し,大人が持て余し気味にしか対応できていなかった状況があったと私はみています。
 そうした彼らの暴力性はどのように学習されたのか。学習というよりは,彼ら自身が生活の中で身に付けてしまった習性と言うべきかもしれません。大人が彼らに意図しなくても身に付けさせてしまった,と。親も含む周りの大人が,若年者に対して人との関わり方をどのように教えたのか。小2児童の親からは,今もって謝罪の言葉をもらっていません。それも他人との関係性から来ているのかもしれないし,暴力に対する感性の鈍さかもしれません。子供がバットを凶器に殴り付けた行動をただのいたずらレベルで受け止めたとすれば,親以前に人としてどうかということにもなります。もちろん,こうした疑問を含んだまま事件後が進んだ背景には,児童館が事件の正確な情報を把握しようとせず矮小化し,神戸市がそれを追認したまま事実の検証しようとしなかった経緯があることは改めて強調しておきたいと思います。それが加害児童親の心理にも影響を与えているのかもしれません。いずれにしても,真実は遠ざけられ,暴力は野放しにされたままです。

 先日のNHKスペシャルで,エチオピアのヒヒを取り上げていました。標高3000mを超える切り立った断崖の上の草原地帯には世界で唯一の「草しか食べないサル」ゲラダヒヒが暮らし,メス上位の,争いを好まない平和な群れ生活を営まれています。しかしその崖下の海抜マイナス100mの低地には火山活動が続く灼熱と乾燥で食物の乏しい荒野が広がり,そこにマントヒヒが支配する世界が営まれます。マントヒヒは何でも食べる雑食性で,メスや家族の統率も腕力中心の世界であり,他の群れとの争いも絶えない世界になっているとの説明がありました。人間の世界は,ゲラダヒヒとマントヒヒの中間にあるのでしょうか。ゲラダヒヒのような暴力のない世界を望んでも,人類の歴史を振り返るとマントヒヒのような力を誇る者が中心に展開してように思われますし,現実も暴力事件が絶えません。そして,少年によって起こされる暴力事件がこうして世間を騒がします。

 新型コロナウイルス対策としてのステイホームの中で家庭内暴力が増える危険性には以前も触れましたが(『暮らしが変化を強いられる時』),家が安全な場所ではない人にとっては厳しい状況が続いています。だからこそ多くの人に,身近な場所,身近な関係の中で起きる暴力について改めて想像していただきたいと考えています。