娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

少年事件をこじらせる大人たち

 先日,気になる事件を見つけました(渋井哲也『愛知県豊田市で下校中に大けが なぜ被害者である姉妹が転校を余儀なくされたのか』)。読みながら既視感を覚えるものがありました。

 まず事件現場から。2018年10月下旬,愛知県豊田市内にある小学校の一斉下校の日,帰宅方向が同じ3人が一緒に歩いていての出来事でした。小学1年生の女児が,5年生の男児に背中を押されて転倒し,手首の骨折と歯の欠損などの大けがをしました。この現場を見ていたのは,5年生になる女児の姉だけでした。子供だけ現場です。
 目撃した姉によると,姉と男児が話している間を女児が追い抜いた瞬間,男児が女児の背中を押し,女児が転倒したとのことです。事件翌日,女児の母親が学校に報告し,担任が男児に聞くと「ぶつかったからランドセルを押した」「強く押していない」と話したようです。

 男児の母親が女児宅を訪れて謝罪したものの,本人の謝罪は後日となり,その中で「事件か事故かの認識の違いから決裂」したようです。この認識の違いは加害者側と被害者側のズレの出発点となります。
 事件後2週間以上経過してから,女児の母親は養護教諭から「一人の人間として話を聞くので話をしませんか?」と言われ,母親は承諾して思いを伝え,「校長先生だけには話してもいいかな」との問いにも了承したようですが,この頃には学校が被害者側に距離を置き始めていたことを示しています。
 その後の経過の中で,被害女児が事件時の状況を次第に話すようになり,「死ぬかと思った。怖かった」と口にし,そのことによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療を今も続けているようです。唯一の目撃者である姉も「私もそう思った」と話し,これに関して精神科医が「姉妹ではなおのこと自分が助けられないという罪悪感が生じているのかも。トラウマ的な傷つきはありえる」と解説しています。姉妹とも重い荷物を背負わされたのです。
 被害者側は,学校にいじめ防止対策推進法による対応を求め,12月に入って被害届を提出します。学校と話し合う中で,その対応に対する疑問が募ったことがこうした行動につながっています。学校側の理解が外傷で留まり,心の傷まで思いが至らなかったというあたりでしょう。「被害者は泣き寝入り,転校することに。それが学校側には成功体験になっています」との解説もありましたが,そんな成功や考え方は早めに過去のものにしていただきたい。
 この学校の対応について,豊田市教委は取材に「初期の対応の中で、被害児童の側と加害児童の側ですれ違いが起きたものとみています」としています。まさしくその通りですが,そのすれ違いの中での学校の対応に関する教委としての検証評価をうかがえないのが残念です。
 結局,2019年4月に被害女児は他の小学校に転校し,9月になると姉も男児と同じ校内にいることが負担となって登校できなくなります。この時点で小学校の校長(事件時と別の新しい校長)が,姉に関して「とばっちりですよね」と母親に語ったとあります。事件当事者の言葉としては余りにも無責任です。姉が学校に行けなくなった要因がここにもあることがうかがわれます。

 子供が関係する事件で,被害者が加害者よりも追い込まれるのは,この国ではよくあることだと私は考えています。昨年5月に神戸市兵庫区の児童館で起きた女児に対する暴力行為の際も,複数の加害児童がそのままであるにも関わらず,被害を受けた女児は転校を余儀なくされ,女児の父が「被害者側がなぜ引っ越さなくてはいけないのか」と語っています。いじめ問題が取り上げられるようになってきたのも,こうした子供絡みの事件が潜在的に持っている課題からくるものだと考えます。

 一般的に事件が起こった場合,問題行動を起こした人間への対応(逮捕とか)に重点が置かれてきました。加害者の刑罰や更生に力点が置かれ,被害者のことは余り考えられません。被害者が置かれる厳しい環境に関心を持つようになったのは最近の話です。犯罪被害者等基本法が制定されたのは2004年の話で,その考え方はまだ十分に浸透していないと思います。
 子供が問題行動を起こした場合も同様で,少年法が1948年に制定されていますが,記されているのは問題行動を起こした子供への対処(保護更生など)だけです。しかも困るのは,自分は子供を更生させられる,指導できると考える子供業界の人たちが多いことです。そうしたフィルターがかかった考え方で事件に臨まれると,事実がゆがめられていきます。加えて組織維持や自らの保身が重ねられることにもなります。起こった事実の確認がなおざりにされ,そのツケが個人である被害者に覆い被さります。これもいじめ問題に通じる話だと私は考えています。いじめ防止対策推進法が制定されたのは2013年で,やっと被害者に触れられるようになりました。事件や問題が起きる時,そこには加害者だけではなく被害者がいることを忘れないでほしいのです。被害者にツケを回すような社会ではいけないと考えます。