娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

「記録がない」ことが意味するもの

 安倍首相が辞任表明してから,報道面では政権期間を総括する内容が続き,政権の疑惑に関する記事の時に必ず登場するのは公文書改ざんに代表される公文書の管理でした。前代未聞の改ざんは勿論ですが,公が記録することの意味が小さくないことは処々で報じられました。公文書管理法でも,公文書が「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり,適正な管理のもとで「行政が適正かつ効率的に運営される」ことを目的にうたっていますし,地方公共団体もこの法律の趣旨に則って保有する文書を適正な管理のもとに努めることが記されています。
 しかし以上の話は,記録された公文書の管理の話です。私がここで記したいのは,記録が残されなかった場合はどうなるのかという話です。もちろん娘の事件に関してです。以下,児童館が作成した資料に絡めながら進めます。

 事件は2017年5月24日の夕方,神戸市立松原児童館で起きました。この事件の報告は翌日,児童館長が神戸市こども青少年課の担当に電話を入れ,担当は「市として特段対応」しないが「落ち着いてからメモで良い」ので入れるように返答します。ずいぶんと緊張感のない話ですが,5月29日にその報告書がFaxで市に送られます(市は「31日」に送られたとしています)。この後にスケジュール調整が行われ,6月5日に市の課長・係長が児童館を訪れ,課長は児童館長にねぎらいの言葉をかけます。この間の市側の記録は,6月5日に児童館を訪問した際の報告として作成されましたが,情報公開に際しては内容を伏した形でしか公開されませんでした。
 以上の部分は,事件内容で考えれば半分といえます。児童館では事件の状況を現場に居合わせた児童には確認していますが,事件で直接被害を受けた娘には状況を確認していません。事件現場唯一の大人と認めている被害者の情報確認がないまま,終息に向かうような状況にあったのです。

 事件翌日から治療のため1か月帰郷した娘は,子供とはいえ暴力行為を放置できないと考え,6月27日に警察に被害届提出を相談し,翌日,娘と私は児童館指定管理者のもとを訪れて,警察の調査への協力を要請します。その日のうちに児童館から神戸市の担当に報告が入れられ,担当から「動きがあれば教えて」との指示を受けます。また,7月2日には児童館の開放委員会が開催され,これに加害児童が通う小学校長とともに市こども青少年課の担当も出席し「現状を共有する」とされます。どのような情報が共有されたのか,非常に知りたいところです。
 被害者からの警察への被害届提出という新たな展開があったにも関わらず,施設設置者である神戸市の担当から娘なり私のもとに問い合わせが入ることはありませんでした。神戸市の対応に疑問を感じた私は,7月12日に直接こども青少年課へ電話を入れます。大学院へ提出する論文提出に難渋していることや就職活動が全く取り組めない状況にあること,何よりも聴力を回復できないことや後遺症の症状が増していることを丁寧に伝えました。
 これまでも何度か記してきましたが,娘からの被害届提出は,児童館から市に出された情報とは異なる情報を意味します。それは,児童館の報告と比べればかなり重い内容です。しかし,上に記した被害届提出以降の動きについて,神戸市の対応に関する記録は存在しません。情報公開制度には登場しなかったのです。
 神戸市の「公文書管理規程」では,「電話又は口頭による照会,回答,報告等で重要であると認められるものは,その要領を記載して,処理しなければならない」(第20条)とあります。被害者から被害届が提出されたとか,被害者父からの窮状を訴える電話は,「重要」とみなされなかったということでしょうか。同じ規程の中で公文書は「作成されなければならない」(第15条の2)ことになっていますが,同じ条に「事案が軽微なものである場合を除く」ともあります。娘は今も脳震盪の治療を続け,PTSDのカウンセリングも続けて受けています。意識消失の状態が1時間半以上も続いたことや,「死ぬ」思いに追い詰められたことを考えると,残された傷は決して軽微ではないはずです。

 神戸市とは,事件1年後から文書による質疑がありましたが,神戸市からの回答には指定管理者に依存する内容が目立ちました。指定管理者に主導されたのか,主体的には動かなかったことがうかがわれます。施設設置者として主体的な検証を行わなかったので,そう答えざるを得なかったと推測しています。自らの怠慢に触れさせないためにも,記録を残せなかったということかもしれません。記録がないということは,誠意がないということです。