娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。4の付く日に更新しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

救急車を呼びたくなかった,のでは

 昨年の秋,ラグビーワールドカップで日本中が盛り上がっていました。一戦々々を心待ちして楽しみました。若い頃見た観客の少ないラグビー場とは隔世の感一入でした。記憶する30年ほど前のラグビー戦には「魔法のやかん」が存在しました。衝突で頭を打って倒れた選手のところに黄金色のやかんを持ったマネージャーが駆け寄ってやかんの水をかけるとあら不思議,選手はすっくと立ちあがりプレーに戻るのです。しかし現在ではこの行為は危険なものとされています。頭を打って倒れた選手は脳震盪を起こしている=命に係わる危険な状態もあり得る,と考えられるようになったからです。
 私が娘の事件に対する疑問を持ち始めたのは,頭をバットで殴られたにもかかわらず,現場に救急車が呼ばれていなかったということからでした(もちろん暴力行為があったにもかかわらず,そのことに対する動きが全くみられないことも同時に疑問でした)。娘に救急車が呼ばれなかったことについて児童館は,受傷後の娘が普通に行動できたからだと言います。支えてもらってはいたが児童館には歩いて戻れた,他の職員の問いかけにも返答していた,と。しかし脳震盪は,一見何ともなさそうに見えても,実際には脳や頭蓋骨に重篤な損傷をきたしていて後遺症が出てくることもあり,放っておくのは危険とされます。受傷後24時間以内は1人でいることを避けるようにともされています。

 児童館の対応は,そうした脳震盪の現在の情報に疎い,「魔法のやかん」対応だったといえます。ここで終わると,「児童館,もっと勉強しろよ」で終わる話になりますが,話はこれで済まないのです。
 これも脳震盪に関連しますが,児童館では「万一のために」と病院に連れていったとしていて,その病院ではCTで撮影しただけで「異常なし」とされました。脳震盪では画像検査上は異常がないのがほとんどとされ,本人や周囲の人の丁寧な問診が必要とされます。事件現場も見ず,知らず,受傷後1時間半も経ってから病院に連れて行った人がどのように受傷の状況を医師に説明してくれたのでしょう。医師の診断に大きな影響を及ぼすであろう同行者の説明も,私には大きな疑問です。
 加害児童の処遇を振り返っても,少年法に基づく対応はなされず,学童保育からの「退会」処理で済ませています。加害現場に飛んだ上級生のそそのかしは消去され,加害児童が「発達障害だから暴力」という理由で単独行動が強調されます。そのうえで凶器となったバットは「軟らかい」話も強調され,加害行動の異常さを薄めようともします。事件現場にいた「唯一の大人」である被害者が知る現場を反故にすると,そうした話も成り立つのです。
 いずれにしても,そうした話の積み上げが神戸市に報告され,市もこれを全面的に受け入れて事件後12日経過した6月5日に神戸市の課長・係長が児童館を訪問し,児童館長に労いの言葉をかけています。私はこれを「手打ち式」と呼んでいますが,児童館と市はここで事件の落着とみたはずです。ここでの確認事項がこの後の事件概要とされます。加害児童が単独で軽易な逸脱行為を起こしたとして退会処遇とし,被害者の受傷は軽易なものとするその内容は,事件の被害者となった娘の知る事実とは明らかに異なるものです。

 事は暴力行為です。バットで指導員である娘の頭部を背後から殴っています。大人であれば刑事事件です。事実に基づかない少年への対応は未来的な対応ではないはずです。娘は聴力を奪われて今も脳震盪後遺症の治療が続く重傷で,精神的にも負担の大きい暮らしを強いられています。人命軽視であり,法的のみならず倫理的にも許容できない話です。
 なぜそうした状況ができたのか。自己防衛を強く意識した考え方が優先されたと考えています。加害者が子供だとしてもニュースバリューのある内容となります。良いことならともかく,批判・非難の対象となるできごとは避けたいとするのが,まず当事者の考えるところでしょう。救急車を呼ぶだとか警察に通報するだとか,事を荒立てるのはできるだけ避けようと考える部分があるはずです。事件後の対応にはそうした部分が垣間見えるのです。被害者を事件後1時間半も経過してから病院に連れて行くのも,加害児童を少年法によらない対処で済ませたのもそうした考え方からのものと見ることができます。そう考えると,救急車が登場しなかった理由も見えてきます。残されたピースを繋ぎ合わせるとそんなパズルが浮かび上がります。
 事件の真実は検証されることなく時間だけが経過しました。被害者や加害者,事件の事実と向き合わないままに。その根底に事実を歪める意思が横たわっています。「魔法のやかん」同様,古い考え方として捨て去ってほしい悪意です。