娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

核心に関わる言葉が聞きたかった

 娘は事件の際,頭部をバットで殴られて昏倒したにも関わらず救急車が呼ばれなかった,ということに悔しい思いを持っていました。そうしたことから事件等に際しては,被害者優先の考え方のもとに救急車が呼ばれるようになってほしいという思いから,署名活動を始めていました。それらの署名については,今年1月に文科省厚労省に提出し,その後に追加となった署名を含めて今年8月,事件現場を持つ神戸市長に提出しました。この時に同席していただいた神戸市会の小林るみ子議員が,9月29日の神戸市会本会議でこの署名に触れる質疑を行いました。その質疑を聞いて考えたことを記しておきます。

 まず質疑の内容を簡単に記しておきます。小林議員の質問は,被害を受けた支援員(被害者)により,教育・児童福祉現場において救急車も呼んでもらえないことがある現状を変えたいと始められた署名が,神戸市長に提出されたことについての見解を求めるものでした。
 答弁には恩田馨副市長が立ちました。答弁の内容としては,署名については十分に参考にさせていただきたい,児童館に関しては防止のための職員研修・コーディネーターによる巡回指導・労務監査などの取組みを行っている,緊急事態への体制整備も令和元年度から図り,事故発生当日中に指定管理者から必要な情報が報告されるようなスキームの構築も令和2年度から行っている,引き続き指導監督を行っていきたい,というものでした。

 娘の署名が,職場が救急車を呼んでくれなかったことに対する悔しさから始まったものであることについては小林議員も質問で触れていました。答弁は類似案件への対応対策が述べられていて,それはそれとして中身のある答ではありますが,救急車の「救」の字も言及されませんでした。私にすると,そのことに対して残念な気持ちとともに疑問を残すところがありました。質問と答弁の間に微妙なズレが置かれている,作為的にそのようなズレを生じさせているのではと感じられたことです。
 そのことは,神戸市の児童館担当であるこども青少年課との文書のやり取りの中で強く感じていた疑問でもありました(『問いと答えがかみ合わない!』など)。文章として読めばそれなりの意味は示されるものの,聞かれていることを回避する,質問途中で用いられた説明には触れても問われている核心には触れない,というような,答えやすい質問には答えるものの聞かれたくないものには答えないという回答の仕方でした。こうした回答は,質問者が持つ不信感を増幅させるだけなのですが,それが狙いなのかもしれないと思うことすらあります。「指導監督」を行ってもらえなかった者の父としてはそう考えるのです。

 しかしこの話は,1自治体に関する話だけではなく,およそ「公」にある者に共通する話なのかもしれません。この国を牽引するリーダーたちにも見られる話で,先月初めから報道されている日本学術会議の会員任命拒否の問題でも明らかです。「任命しなかった理由は何?」というシンプルな質問に対する答えが,「総合的、俯瞰的」だったり「多様性」であったりでは,問答がかみ合うわけがありません。現在では,問答の核心が隠されて場外乱闘が繰り広げられ,拒否された人たちだけが取り残されているように感じています。どうも私が暮らすこの国では,公にある人たちは問答を成り立たせないことを基本としているようです。
 問答が成り立たない人間関係が作る社会。その行く末が決して望ましいものでないことは明らかでしょう。私には社会に何か働きかけられる動きはできませんが,少なくとも身近な場でそうした言動を否定することだけは,心がけておきたいと考えています。