娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

事件を取り巻く人たちの思惑

 先月気になった報道から。2017年4月に長崎の私立海星高校で,当時2年の男子生徒がいじめを苦に自殺する事件があり,これに関連する学校側や学校を指導する立場にある県教委の対応に対する疑問を報じたもので,テレビでは目にすることがありませんでしたが,新聞には比較的取り上げられていて,見過ごせないものを感じたのです。

 自殺した生徒が,同級生に「さんざんディスられた(侮辱された)」などと記した手記が残していたことから,家族はいじめがあったと受け止めます。学校側も当初遺族に対応した教頭(現校長)がいじめを認める発言もしていたようですが,その後「突然死ということにした方が良い」「他の生徒には急に転校したと説明することもできる」というような,受け入れがたい提案をしたといいます。不信感を覚えた遺族は,真相を明らかにするために第三者委員会による調査を学校に要請し,学校側も受け入れていじめ防止対策推進法に基づいて弁護士ら5人による第三者委員会を設置します。委員会は生徒や教職員への聞き取りなどの調査を行い,18年11月に「自殺の主たる要因は同級生からのいじめ」とする報告書をまとめます。遺族側はこの調査結果を受け入れますが,学校側は19年1月に受入れない意向を家族に示し,現在も「論理的飛躍がある」として受入れを拒んでいます。高校側が受入れない理由の一つとして,学校法人という私学としての自主性が認められている存在なので,公立のような処分ができないからとの記事もありましたが,それはあくまで正常な教育方針などに対するものであって,いじめを含む暴力行為に適用されるものではないと私は考えています。
 いじめた側の生徒がいる学年が卒業した今も膠着状態にあるわけですが,その一因として指導する立場にある長崎県教育委員会の対応もあります。学校側の対応に不信感を抱いた遺族は,18年1月,県学事振興課の職員2人と共に教頭に面会しますが,この席で同席した男性参事は「突然死までは許せるけど、転校というのは事実と反するので言うべきではなかった」と発言します。この時に遺族は学校側が自殺を一部の保護者や生徒にしか公表しなかったことも問題視しますが,この参事は「全校保護者会を緊急でやる必要はなかった。亡くなった事実が広がっていないので」などと学校側を擁護する発言をしています。この発言について,先月18日に長崎県が記者会見し,「不適切だった」と陳謝しています。当然です。

 この発言をした当時の参事は,現在は長崎県内の県立高校長になっているとの報道もありました。県立高校教員としての優れた経歴を持ち,県立高校を指導する県学事振興課の専門職に就き,そこでの実績をもとに県立高校校長として今にある人物なのだろうと推測しています。この人に求められていたのは,適正な学校教育における教育に関するものだったはずですが,この人の事件に対する発言は誤った方向にある学校側の思惑を擁護するものでしかありません。

 組織や集団では「秩序の維持」を優先する傾向があります。特に上部の位置にある人々・管理職とされる人々にそうした傾向があるのは多くの人が経験していると思います。事件が起こると,そうした人々の組織・集団を「プロテクトとしようとする力」が働きます。そこまではやむを得ないとしても,事実をゆがめる考えや言動は,保身や隠蔽・捏造でしかありません。校長や参事の発言は,適正な教育の方向性からのものではなく,組織優先の隠蔽の言葉です。

 事件の事実をねじ曲げることは,暴力という事実と向き合わされている人には受け入れられものではありません。今回の事件では,遺族の不信感から多くの疑問ある行動が白日のもとに出されたわけで,ここに至る遺族側の苦悩は計り知れないものだったはずです(まだ終わってはいません)。それとともに事実と向き合わないという対応は,加害側の生徒にとっても未来ある対応ではなかったことを改めて思い知るべきだと私は考えています。
 私も事件の事実と向き合おうとしない人々と相対し,その苛立ちの中で不信感を膨らませてきましたが,そうして募らせた思いからこの長崎の事件を考えています。