娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

コロナ禍という命の不安

 2020年の私たちは,本当に大変な時代を経験していると思っています。新型コロナウイルスという目に見えない恐怖による生活の急激な変化。年初の頃は中国のこととして語られ,旧正月時期の中国人観光客や大型クルーズ船で,一気に緊迫した国内問題と化したと記憶しています。同時に世界中が同様にこの災厄に襲われることにもなり,今もその渦中にあります。
 世界的な感染ということで100年前のスペイン風邪の話がよく出されますが,その後の大戦や大規模な自然災害,「科学の進歩」に対する過信などで病原体に対する恐ろしさを忘れていたのだろうと考えています。歴史の中で多くの命が奪われる機会とされるのが飢餓・戦争・自然災害・病原体とされます。忘れていた病原体の恐怖を改めて突き付けられていることを強く感じます。一つ確かなことは,私たちは歴史の大きな転換点にいるということなのでしょう。

 それはそれとしてもこのコロナ禍での暮らし,制約・自粛を求められる生活を,この国ではしばらく経験していなかったので,その息苦しさを痛感しながらの暮らしが続きます。「3密(密接会話・密閉空間・密集場所)」を避け,手指消毒やうがいを心がけ,外出や会話がある場面でのマスクを忘れず,ショッピングは時間帯を考慮して手早く済ます,不要不急の外出は避ける,人との接触機会は極力減らす,特に酒を伴う食事・・・もちろん私も心がけています。ソーシャル・ディスタンシングという言葉も今年知りました。しかし不安な思いにかられることが少なくありません。
 そうした不安を感じている人がほとんどではないでしょうか。規制や自粛を求められる巣籠もり生活への対応から,ストレスを抱え込んでいることが普通なのだろうと思います。感染を避けることから日常の大事な一コマでもある周囲の人との接触を避け,一人であることを求められるわけですから。そうなった一人を,感染そのものや経済的打撃による不安や恐怖,感染者や医療従事者に対する誹謗中傷のような不信など,不安な気持ちにさせる情報が襲っています。今月に入ってからカスタマーハラスメントの報道もありました。みんながトゲトゲしているのでしょう。まだ自分の知っている人に感染者は出ていませんが,近辺での感染報道は少しずつ増えているので,不安もそれに比例します。

 そうした不安が身近なところで暴力を引き起こすのではないか,というようなことを春先にはここに書きました。確かにそのあたりからは,児童虐待ドメスティックバイオレンス(DV)に関する報道が増えたように感じています。自殺に関する報道も増えました。社会でも弱い立場にいる人がより追い込まれていくという報道も少なくないようです。一人ひとりの暮らしが不安で押しつぶされていく現実がそこに表れています。今月に入ってからも家族が一緒に命を絶つケースについての報道がありました。個人や家族を孤立させない社会のあり方をみんなで考えなければならないのでしょう。
 例年,秋になると省庁が発表する白書など前年度に関する統計的な報道が増えます。その中に「全国の児童相談所が扱った虐待件数が19万件以上で前年度比2割増」とか「学校でのいじめの認知件数が61万件で過去最多,重大事態も最多」とする報道がありました。いずれもコロナ禍に入る前の2019年度の統計です。来年度,この数値はどのよう増えているのだろうと思わず考えます。もちろんこの件数は,社会全体の中では微々たる数字でしかないのかもしれません。善良に暮らしている人の方が圧倒的に多いはずですが,その微々たる数の中の「増」に対する関心を減らしてはならないのだろうと考えています。多くの命が失われる歴史の転換点であればこそ,命に関わることには敏感でありたいと考えます。