被害者の視点も大事な情報
今月前半で社会的関心を集めたのは,東京五輪組織委の会長交代ではなかったかと思います。新型コロナウイルス禍,緊急事態宣言地域が残る中で新聞一面を飾る日が続きました。前会長の女性蔑視発言は国際的話題になり,これを引き継ぐ新会長に女性が起用されて落着しました。私が気になったのは新会長になった橋本氏に関し,過去の行跡が注目されたことです。ソチ五輪に選手団長として臨んだ橋本氏がフィギュアスケート男子の高橋大輔選手にキスを強要した問題で,セクハラ・パワハラの言葉も用いながら多くの報道が扱っていたことに,何かしっくりこない感を覚えていました。過去を振り返った記事でも被害者が明確ではありません。高橋選手自身も「ちょっとハメを外し過ぎた」的コメントしか残していないようです。高橋選手が被害者として明確に説明してくれるのであれば,話は別です。事件性を問うのであればまず被害者を,という話をしようとおもいましたが,事件・ハラスメント系ではないスキャンダルの話に没入してしまいました,脱線。
事件系の話を。娘の事件では,当初から被害者の姿が事実と異なる状況に置かれました。そのことが現在の困難の大きな要素になっています。大まかな話を記します。
事件は2017年5月24夕方に起き,児童館長は翌日に施設設置者である神戸市の担当課(こども青少年課)に電話を入れます。その時の担当者の返事は「神戸市としては特段対応することはないが、状況が落ち着いてからメモで良いので内容を送ってほしい」でした。事件の報告書が神戸市担当へFAXで送られ,それを踏まえて神戸市担当は児童館訪問の日程調整を行われ,6月6日に市の課長・係長が児童館を訪問します。事件の現場調査になるわけですが,館長から説明の後,課長・係長からねぎらいの言葉がかけられます。この時点で児童館・神戸市は,安堵したはずです。最初の一報にもとづく現場の確認と対策が確認できたわけですから。しかし,その最初の一報を改めて見ていただきたい。市の担当の返事は全く事件性を感じさせない受け止めです。娘の受けた傷を重く受け止めている私からするとあまりにも軽く,その落差が疑問となるのです。
一方,事件翌日再診察での入院を言い渡された娘は,前日の2カ所の病院での診察に不安を感じていたので故郷での入院を選択します。1か月の療養生活の中で児童館からの電話連絡は一度だけ,それも納得のいかない内容のものでしかありませんでした。娘は自分が置かれた状況の不安定さと事件後対応への疑問ばかりが増幅しました。療養生活を終えた娘は神戸に戻り,被害者支援センターに相談し,警察への被害届提出の行動を取ります。警察への相談をした翌日に指定管理者を訪問して警察への調査協力を申し入れ,その日のうちに神戸市へも連絡が入れられています。
私はこの段階で,神戸市から何らかの問い合わせがあるだろうと考えていましたが,その後も含めて何もありませんでした。児童館と異なる情報を持つ被害者が現れたというのに,なぜか自分たちでそれを確かめようとしないのです。その結果,先に記した矮小化された情報だけが,公としての神戸市の情報に置き換えられてしまいました。結果的に,中立性を求められる公が一部の情報にのみ依存する形になったことで,事件の真実は遠のき,そのことが被害者を軽視することに結びついていきます。今もその延長上に置かれた被害者は,そこに立ち尽くすしかありません。広く集めた情報をもとに俯瞰的立場から公正な判断をしてくれるだろうと期待した私がバカでした。
被害者の場合は,心身の負担だけではなく生活そのものを崩されることになるので,社会的にも負担が増える状況に置かれます。犯罪被害者等基本法に基づく支援制度があるとはいえ,被害者に対する理解が高いとは思えません。それゆえ公にある人にこそ,公正中立な立場から弱い立場に置かれる被害者と向き合ってほしいと考えるのです。起きたことを被害者の視点からも振り返ることで,事件の別の風景が見えてくることにもなりますし,被害者の精神的な負担の軽減にもつながることになります。そうした姿勢を公の人には身に付けてほしいのです。