娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

暴力は再生産される

 前回は,身近なスポーツの現場における指導者の資質によって暴力的な環境が生まれていく状況について記しました。生活の身近なところで起こる暴力について考えているわけですが,今回は本の情報ですが,地域社会にもたらされた暴力的な経験が次の暴力につながるという話を知りましたので,そのことを記します。

 最近刊行された川満彰著『沖縄戦の子どもたち』(吉川弘文館)にあった内容です。沖縄は第二次世界大戦の日本で唯一地上戦が行われた場所であり,多くの住民が犠牲になったことについては多数のメディアでも毎年6月になると取り上げられています。戦争は人間が行う最大の暴力行為の世界なので,命の軽さや人間の持つ残虐さが当たり前の状況なわけですが,沖縄戦が語られる中では住民の集団自決の話が出てきます。米軍の上陸によって追い込まれた一般住民が集団で命を絶つ行為に走ったことで,沖縄戦の住民犠牲者9万4千人の1%が集団自決とされるようです。日本軍による強制や命令の有無などから,定義そのものにも諸説あるようです。
 今回ここで触れたいのは,集団自決が起こった要因に関してです。従来は,捕虜になることを恥とする戦陣訓の影響が指摘されてきていましたが,それだけではなく,住民の一部が持っている体験が反映されているとのことです。具体的には,在郷軍人(地域に住む元軍人)が中国で犯した残虐行為を武勇伝として周囲に伝え,それを聞いた周りの人々が負け戦の場合はそういうことが起こると受け止めていたという話があります。また,中国帰りの兵が中国で犯した行為を米兵に置き換え,米兵は捕えた男を八つ裂きに女は強姦して殺すと話していたことが米兵に対する恐怖心をあおっていたりしていたという話などです。昭和の日本が中国に侵出し,その現場で兵隊として経験した暴力が,侵出された側になった時に加害行動を裏返した被害行動につながってしまうという話です。もともと戦陣訓など武士や兵士に求められた行動が,そのまま庶民に受け入れられると考えることには不自然さを覚えていましたが,住民の一部の体験が地域の集団心理に及ぼす影響は小さくはないことは十分に考えられることです。暴力的な体験が次の暴力を呼び起こす。暴力は暴力を再生産するという話です。

 コロナ禍が1年以上続く現在の環境が暴力的な行動を増やしていることに触れる報道が目につきます。そのことについては,最初の緊急事態宣言の頃から関心をもってきましたが,残念ながら政府から発表される最近の暴力関連の統計報道はいずれも,数値が伸びたことを知らせています。先月,「労災の原因、パワハラが最多」との報道がありました。仕事が原因でうつ病などの精神障害を患って2020年度中に労災認定されたのは,前年度より99件増の608件あり,1983年度の統計開始以降2年連続で最多を更新したとのことです。原因別で最多となったパワーハラスメントは,昨年度認定基準の項目に追加されたばかりのもので99件あったようです。パワハラの増加は,好ましくない職場の人間関係が増えていることを意味します。
 5月には,ドメスティックバイオレンス(DV)に関する相談件数が前年度より1.6倍に増えたとする報道もありました。2020年度の速報値が19万件余となり,前年度の12万件から1.6倍に急増して過去最多となったというのです。内閣府の発表でしたが,その要因としては新型コロナウイルス感染拡大に伴う在宅時間の増加や社会的ストレスがあげられていました。親しい間柄も壊れやすい世の中になっています。
 同じ頃,「子供に体罰、親の3割超」との報道もありました。18歳以下の子供がいる親ら養育者のうち,しつけ名目で半年以内に体罰を与えたと答えた人が3割超いるとのことが,厚生労働省による初めての実態調査で分かったとのことです。昨年4月に体罰を禁止した改正児童福祉法などが施行されましたが,体罰が暴力であることに気付かない親が少なくないことを意味します。

 話を最初に戻すと,これらの増えている暴力は加害者の人生で身に付けてしまっていたのだと思います。これまで行動に至る前に抑えられていた暴力が,コロナ禍での生活の変化で蘇ってしまったということかもしれません。暴力が蘇らないような安定した生活を早く取り戻せるようになりたいものです。