娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

今年も頑張るだけだな

 前回,年が替わることもあり正月は1回休みますと告知しましたが,いざ替わったら使い続けているPCに不具合が発生してしまい,2回も休む羽目になってしまいました。年初から申し訳ありません。これまで160回ほどブログを更新してきましたが,改めてこれまでを振り返りながら整理し,リスタートしたいと思います。

 ブログのタイトル説明と重なりますが,まず娘の事件から。2017年5月24日の夕方,神戸市松原児童館前で小2男児が,いきなりバットで背後から指導員である娘の頭部を殴りました。娘は,この月の連休明けに非常勤で勤め始めたばかりでした。事件翌日に医師に入院を指示された娘は,神戸での療養に不安を覚えたことから郷里に帰って入院・自宅療養をしますが,事件に関する報道もありませんし,雇用主からの連絡・説明も不足していました。1カ月の郷里療養から神戸に戻った娘は,事件そのもの事実が明らかにされないままであることに疑問を感じ,警察に被害届を提出します。そこから事件を振り返る中で,当事者・関係者の事件に対する姿勢など疑問が次々膨らむことになりました。

 私の疑問の始まりは,現場に救急車が呼ばれていなかったことでした。事件時の記憶を取り戻せず,右耳の聴力を失うほどの打撃を受けています。頭部に衝撃を受けて倒れた人は安静にして医師のもとに運ぶ,が私の常識です。そこに児童館(指定管理者)の意図が隠されているように思えてならなくなりました。
 救急車が呼ばれないので警察への通報もありません。加害者が子供であっても,明確な暴力行為に対しては少年法を踏まえた措置を取るべきです。しかも,加害児童は小1時から特別に指導が必要な児童とされていることを神戸市は議会で証言していますので,児童館の指導が十分ではなかったことや指導が破綻したことは明らかです。警察による触法調査の結果,警察は児童相談所に通告します。暴力行為が確認された,大人であれば立件でしょうか。児童の保護者からはちきんとした謝罪はありませんし,児童館の説明もありません。
 児童への法的措置をないがしろにし,受傷者への救急措置を取らなかった児童館の行動は,事件を矮小化して通常の子供間における軽易な事故に仕立てたようとしたものだと私は考えるのです。そうした行動によって,事件の真実はいまだ明らかにされていません。事件そのものや事件の周縁は,彼らが描いたシナリオの中にあります。被害者である雇用者に対する一切の救済措置も取っていませんが,それは被害届を提出したことに対する報復と考えています。娘は今,保護者や児童館を運営する福祉法人と係争中です。

 児童館設置者である神戸市は,事件のことを指定管理者である児童館(福祉法人)に押し付けたままです。設置者としての主体性は全く見られません。一番の大きな判断ミスは,娘の被害届を無視したことだと考えています。児童館が持っている情報と異なる情報を持つ当事者が遅れて登場したわけですが,自らそれを確認しようとはせず,当初からの情報提供者である児童館の陰に隠れたままです。2年後,神戸市の児童館で女児が複数の男児に暴力的な行為を受ける事件が発生しましたが,この時は指定管理者任せにせず主体的な行動を見せています。娘の事件のミスを自覚しての行動だろうと考えています。神戸市が指定管理者に任せたままにある娘の事件に対する疑問は残されたままです。

 社会保険を担当する神戸西労働基準監督署の姿勢にも疑問を感じています。娘は,事件当日の脳外科・耳鼻科から始まって,その後は整形外科・神経科・精神科も受診し,やっとたどり着いた脳損傷専門医の治療を現在も続けていますが,事件当日と翌日の診察治療しか労災としては認めないとしています。しかしその労災の決定書類には,事件時の児童館の職員2人の矛盾を含んだ証言が残されたままですし,労災医員なる医師が事件を軽く受け止めている発言も載せており,信用に足る内容で判断したのかは疑問を感じるところです。もっと子細なところまで読み込んで考えようと思います。
 労災の判断では,これまで何度か記してきたことですが,脳損傷が正しく脳の病気と認められていない日本の現状が反映されたところもあります。児童館は脳振盪に無知なのか装っているのか,娘の事件直後の反応から救急車を呼ばなかったとしていますが,脳振盪を含む脳損傷は事件への疑問の出発点なので,しっかりと考えていこうと思っています。

 神戸市役所や神戸西労基署に対する疑問は,児童館の用意したシナリオに安易にのってしまった主体性のなさの表れだと解しています。そうした人としての不誠実さや組織を優先して個人を顧みなかったりする旧弊に関連する最近の報道も少なくないように感じています。そうしたこと視野に入れながら今年も記していきたいと考えています。