娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。4の付く日に更新しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

衆目の中での暴力

 私は映画が好きで,よく見に行く方だと思っています。米アカデミー賞で久々に話題となった日本映画「ドライブ・マイ・カー」も先月に見ていたので,国際長編映画賞の受賞は嬉しく受け止めています。アクションなどない静かな3時間ほどの作品でしたが,時間が気にならないほど観る者を引き込む力のある作品だと感じさせられました。そうした作品の持つ力が,多くの映画ファンに評価された結果としての受賞だと受け止めています。有力作品があったことで日本における今年のアカデミー賞に対する関心は高かったと思いますが,授賞式そのものは,ウィル・スミスによる暴力によって悪い形で評判を集めてしまいました。今日は,世界中の注目が集まる中で起こったこの暴力について考えておきます。

 まず,この事件の状況について。先月27日(日本時間は28日),米国のロサンゼルスで行われたアカデミー賞授賞式で,俳優のウィル・スミスが客席からステージに不意に上って,ドキュメンタリー部門の受賞者を発表していたコメディアンの顔を平手打ちし,怒りがおさまらない様子のまま自席に戻り,その後も放送禁止用語を使って怒鳴っていて,生中継が中断されたというものです。
 この事件の出発点を作ったのは,病気を負っている人を前にその病気をネタに笑いをとった司会者の側にあるような報道もありました。政治家とか著名人など職業や社会的地位にある人は,多くの人が集まる場ではネタにされることも少なくないでしょうし,語りを芸にしているような人にとっては格好の対象となるのでしょう。ただ発する内容によっては痛みを覚える人もいるので,そこには細心の注意が払ってほしいものです。今回はスミスがその対象になったのでしょうが,ニュースなどで流された画像では,コメディアンが平手打ちされた後,笑いを得て騒然としたその場を何とか取り繕おうとしているようにも見え,一概にコメディアンに責めを負わせるものではないようには感じました。

 こうした行動を起こしてしまった理由についてスミスは,脱毛症に悩んで丸刈りにしていた妻のことをコメディアンがジョークにしたためだと説明しているようです。病気という非常にプライベートなことを,その場にいた多くの人が認識していたとも思えません。コメディアンもこのことを知っていれば触れることもなかったのではないかと思います。とはいえ,多くの主演映画を持つトップ俳優の行動であることを考えると,この程度で感情を爆発させてしまうことに失望を感じざるを得ません。普通であれば我慢のうえ何らかの対応を考えるべきところを,直情径行に走ってしまったわけで,スミスが自分勝手に怒り出して「独り舞台」を演じたようにしか思えないのです。人としての許容量の小ささが現れたというところでしょうか。どんな理由があるにしろ,どんなに言葉を尽くそうとも,暴力行為はすべての正当性を吹き飛ばしてしまいます。その後の報道では,スミスからアカデミー会員資格の辞退申し出があって受諾されたようです。

 このトラブルは,スミスの人格的な欠陥からくるものと私は考えたのですが,主催者のミスも見逃せません。むしろそこの方が大きいと思っています。このような場で暴力行為をしたら,即刻退場でしょう。しかしこの授賞式の場ではこの後,スミスの主演男優賞受賞が発表され,ステージでのスピーチの時間を与えられ,そこで釈明と謝罪をしています。この対応はいかがなものか,という話です。ステージに上るどころか会場から退場させ,暴力行為の事実確認が優先されるべきではなかったのでしょうか。その後の報道の中では,スミスが退場を拒否したとする主催者側の発表もあったようですが,暴力に対しては厳格に対応するという姿勢がほしいものです。

 ここで取り上げた騒動は,一人の優れた才能を持った俳優による衆目の集まる場で起きた暴力をどのように受け止めるか,という問題でもあります。一連の報道の中では,アメリカではスミスに対する批判が強いが,日本ではスミスを擁護する意見が強いというものもありました。しかし,暴力行為に対しては毅然とした対応が基本となるべきだと考えます。究極の暴力である戦争,ロシアによるウクライナ侵攻が行われている2022年の現在だからこそ,なおさらそのような姿勢が優先されるべきだと考えるのです。