娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

救急車が呼ばれないことの意味

 救急車を呼ばないことによる悲劇がまた起きました。私が娘の事件に対して最初の疑問を持ったのは,頭を殴られて倒れた娘に対して救急車が呼ばれなかったこと,そして事件のことに平然と言い訳を並べ立てる関係者たちの姿勢に対するものからでした。以来,救急車が呼ばれて当然と思える場面なのに呼ばれていない事件を知ると,無性に好奇心がうごめきます。今回の事件の整理から始めます。

 事件は,岐阜県大垣市の岐阜協立大学の硬式野球部で起きました。練習中の4年生(22歳)の男子部員がコーチからの指示でランニング中に倒れ,その後死亡します。ランニングを始めてから1時間15分ほど経過した頃で,この日の大垣市の気温は20.2度だったといいます。倒れた部員は,苦しさから叫び声をあげ,目の焦点が合わず,熱中症のような症状を見せていたようです。駆け寄ったコーチやマネージャーが立たせようとしたものの,立つことができず,水分を補給させようとしたものの,吐き出してしまったとされます。結局,倒れた部員はコーチが運転する車で病院まで搬送されます。この部員は,運ばれた病院の入院前の検査で新型コロナウイルスに感染していたことが判明します。

 ここまでのところでポイントを整理しておきます。ランニングが長時間になったのに関しては,道具が片付いていないことを問題視したコーチが主力として試合に出ている30人ほどに指示したとされます。「罰」として行われていたもので,そのことは学長も「罰という認識のもと行われていたのか、ある種そういう文化があったのかな」と報道への説明で触れています。また,野球部では新型コロナ感染症対策として練習前の検温を求めるとしていましたが,学校側の説明では4月以降,十分に行われていなかったとされます。この野球部は強豪校でもあったようで,それゆえか普段から多少体調が悪くても練習に参加させられることも日常的で,健康管理をそれほど気にしないというか雑な雰囲気を持っていたというか,旧式の思考が幅を利かせていたようにも感じられます。よもや「根性」だとか「大和魂」で頑張らせるような指導はなかったことを祈りたいものです。会話もできず,意識朦朧とした熱中症のような症状だったとされますが,何よりもそうしたことに対する知識なり対応方法は準備されていたのでしょうか。普通で考えると「救急車を呼ぶ」から入ってかまわない状況だと私は考えます。
 そうした雰囲気や「後ろめたさ」を感じさせる罰的行為の先に,「救急車を呼ばない」が生まれたのではないかという気がします。救急車を呼ばなかったことに関する報道では,急を要すると判断したトレーナーが救急車を呼ぶよう進言したものの,監督は「自分たちで連れて行った方が早い」としたとしています。そう言いながら,病院に運ぶ動きをするまで30分も時間をかけたのはなぜなのでしょう。長過ぎます。私の常識で考えると「早い」行動をするのであれば,30分ではなく3分後には次の展開に持っていってほしいものです。だからこそ,一番安全を確保できる対応が救急車を呼ぶことであることを強調しておきます。救急車の場合,現場に到着する,救急救命士が手当てを始める,そこから考えるとずっと早いし確かなはずです。

 いずれにしても,22歳の貴重な命が失われたわけですが,この命は救えた命ではなかったのかと悔やまれてなりません。学校側では,第三者委員会を立ち上げて検証作業を進めているようですが,部の指導者の対応に非常に問題行動があったように感じられてならないのです。その問題行動の核心は「保身」ではないのかとも思えてなりません。彼らの中にある後ろめたさも含めてしっかりと検証してほしいものです。
 まずは救急車ですよ。若者,未来世代を指導する立場の人には常識として保持してほしいものです。