娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市児童館で小2男児が職員を後ろからバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件以降のあれこれを記していきます。ブログ開設趣旨を,開設日2018年10月3日に記載しています。私は,久保田昌加(仮名)

教員間いじめ,子供間いじめ

 神戸市立東須磨小学校での教員間いじめ事件,あえて事件と記します。報道当初の私の意見は前回記しましたが(’19/10/10『教師間いじめ,学校の行為は隠蔽です』),その後も今日まで,次々と新しい情報が報道される状態が続いていますし,単に学校で起きた事件で済ませるわけにはいかない重さを多くの人が感じていると思います。前回以降の事件報道を見聞きしながら気付いたことを記しておきます。

 加害教員に関しては,被害教員がほかにも3人いたとか,いじめ行為という暴力が50項目に及ぶとかなど,嘆かわしく怒りを覚える話ばかりですし,保護者説明会での謝罪文も心に響かない言葉の羅列です。加害教員のいじめを容認していた前校長が報道取材の前に姿を見せたのは予想外でしたが,語られる内容は言い訳ばかりで,挙げ句に入院の体たらく。警察への被害届提出もありましたし,外部調査委員会も動き出したので,そうした動きを注視したいと思います。

 事件報道の中で私が注目したのは次のことです。10月17日に神戸市会文教こども委員会が行われています。ここで市教委は,事件があった東須磨小でのいじめの認知件数を報告しています。2017年はゼロだった件数が,18年には13件に増え,今年度は9月までの半年間で18件にまで増えていたとしています。被害教員が新人として赴任した17年からいじめが始まり,継続的に繰り返されたことを考えると,教師のいじめと子供同士のいじめの関連性が数字にも表れたと考えています。
 人間にはもともと暴力性を埋め込まれて生まれてきます。戦争が盛んな時代はそうした暴力性が持て囃されたかもしれませんが,平和や安心を志向する現代では,その暴力性を行動させないために,しつけや教育などの中で学習を持続させてきたはずです。教育のための施設である学校というのは,教育の専門家である教員が,多くの児童生徒を教え育てる場所のはずです。専門家である教員が,子供に禁じている暴力行為を自ら起こしてしまう,それも学校で行うという,まさに前代未聞の事件で,彼らが行った暴力行為の臭いが子供にも波及したと考えざるを得ないのです。

 加害教員の暴力行為は時間とともにエスカレートしていったことも報じられていますが,そのことは加害教員が自らの行為を暴力と認識できずにいた,学校が世間から閉鎖された世界になっていたことを物語っています。彼らの行為が世間に知られることになって,彼らは初めて暴力行為に気付いたのだろうと思います。閉鎖された集団・組織で暴力が起こりやすいことは以前から指摘されていることですが,今回の事件を機に学校の閉鎖性についても考えてみるべきだと思います。

 今回の事件は非常に特殊なケースなのでしょう。暴力行為を容認する環境があり,自らの暴力性を制御できない人たちがたまたま揃ったともいえますが,この事件をかなり特殊なケースとしてだけ扱って良いのか,という問題も考えなければならないように思います。
 先の委員会の中では,市教委が神戸市全体でのいじめの件数にも触れ,17年度の4,802件から5,508件に増えたと報告しています。東須磨小学校のような悪質な教師の例は無いとしても,全般的に暴力を許容するような雰囲気が増長しているのではないか,と考えたくなります。

 委員会と同日の17日,文科省が2018年度の全国の小中高で確認された「いじめ」の認知件数の統計を発表しています。54万件もあり過去最多とのことです。この数字は前年度より10万8千件,31.3%の増となっており,小学校では34.3%の増加になっているとしています。身近なところでいじめという暴力行為が増えていることを改めて考えなければならないということなのでしょう。

 最近の市教委の動きなどを見ると加害教員の処分を急いでいるようにも見えます。確かに加害教員に対する厳格な処分は必要だし,それによって世間も納得すると思います。ただ,世間の関心はそこから引いていくことになると想像していますが(神戸市のことだから,そこを狙っているとも考えています),そこで終わることなく,パワハラ・いじめに留まらず,DV・虐待など身近なところで起こる暴力の問題を考える契機にしてほしいと考えます(ここでは触れませんが,学校には「体罰」という暴力もあります)。先に記した全国のいじめの問題も,教育関係者や保護者だけではなく,多くの人がもっと深刻に考えなければならない状況にあることを忘れてはならないと思います。