娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

事件の被害者に対する想像を

 世の中の流れとして,犯罪被害者のことをもっと重く考えなければならなくなっていますよ,という話を繰り返してきましたが,今月もう一つ,そのことを押してくれるような報道を見つけたので記しておきます。

 今月6日に最高裁小法廷であった判決です。まず事件の概要から。2015年7月に姫路市の市立中で,柔道部の1年生男子生徒が上級生らに蹴られて胸を骨折,顧問だった男性教諭は被害生徒らに「階段から転んだことにしておけ」と病院で嘘の説明をするように指示します。いじめ事件と認識した校長は加害上級生を大会に出場させないよう命じますが,顧問は従わずに出場させたことから停職処分を受け,後に退職しています。顧問だった元教諭はこの処分を不服として,処分取り消しを求めて兵庫県を提訴したもので,1審では元教諭の訴えは棄却されますが,2審では「停職は重過ぎる」として県に慰謝料の支払を命じる判決が出され,これを不服として県が最高裁に上告したものでした。
 最高裁は,2審判決を破棄して請求を棄却しました。その理由について,いじめを認識した教職員の対応としては明らかに法令に反していて,信用を著しく失わせる行為だったので停職は妥当としました。大会を目前に控えた中で主力選手の不祥事が明るみに出ないようにするという対応は,「いじめを認識しながらこれを放置することがないように」とするいじめ防止対策推進法に明らかに反していますし,同法が「いじめを受けた児童等の生命及び心身を保護することが特に重要」としていることにも反します。被害生徒への配慮が欠けていたことについて「重大な非違行為」と指摘していることを重く受け止めなければならないと思います。
 私がこの判決に注目したのは,前記のように「被害者重視」です。事件が起きた時,被害者にどれだけ配慮できたかということを求められる時代に入っているということが示されています。ここ数回記してきた趣旨もそこにあります。今回の最高裁判断の基礎となっているのは,いじめ防止対策推進法ですが,一般においても犯罪被害者等基本法がある社会であることを忘れてはならないと考えます。
 犯罪被害者等基本法の前文には「国民の誰もが犯罪被害者等となる可能性が高まっている今こそ」との記述もあります。コロナ禍に入ってからのステイホームなどにより,DVや虐待,育児放棄が増え,そうした事件報道に接する機会も増えています。得てして事件報道は加害者側をクローズアップすることが少なくありませんが,被害者に対する想像も膨らませてほしいと私は考えます。

 なお,上記事件では,被害生徒が病院を受診するに際して,元教諭が懇意の医師に「階段で転んだ生徒が向かう」と虚偽の電話した件について,「適切な治療」に影響はないとされています。娘の事件では,頭をバットで強打されて転倒したにも関わらず救急車は呼ばれず,連れて行かれた病院では脳震盪に関する丁寧な検査は行われていませんし,現場状況を知る人の丁寧な問診が必要とされる脳震盪について,付き添った人がどのように説明したのか疑問を持っています。娘以外の大人がいなかった事件現場を。
 犯罪被害者等基本法の前文には,犯罪被害者について「社会において孤立することを余儀なくされ」「その後も副次的な被害に苦しめられることも少なくなかった」ともあります。娘が被害者になり,加害児童保護者からは謝罪を受けることもなく,雇用者である児童館指定管理者からは一切の支援を受けることもできず,施設設置者である神戸市からは被害者だけが持つ事件現場情報にも触れられぬまま,今に至っています。これらは「副次的な被害」と考えています。それが被害者を苦しめるものであることを敢えて強調しておきます。