娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

被害者は社会的弱者のままにある

 先月末,犯罪被害者の支援が進んでいないとする報道がありました。具体的には,犯罪被害者への見舞金を支給する制度を犯罪被害者等支援条例などで定めている全国約300の自治体のうち,2019年度に制度を一度も活用せずに支給がなかった自治体が,少なくとも126あることが奈良弁護士会の調査で分かったというものです。回答があった165自治体のうちの7割超で,このうちの59自治体では17~19年度にわたって全く支給がなかったともありました。
 今回の報道内容が伝えるのは,被害者支援の一端にある給付金が活用されていない実態のことであり,「広報の強化が重要」とする関係者の言葉も載せられていました。しかし私はそれ以前に,犯罪被害者に対する理解度の低さを物語っているように感じられてなりません。斯くいう私もこの法律や制度の存在を知ったのは,娘の事件からになります。当事者になってもがいている娘を見て気付いた次第です。ごく普通の生活では犯罪は縁遠い部分があるだろうし,身近な社会であっては困る話です。報道などで伝えられる凶悪な事件でも,事件に至る経過までへの関心はあっても,事件のその後に対してはないが普通でしょう。

 事件が被害者にもたらすものは,傷付けられた体だけではありません。その傷がもたらす不調や恐怖に起因する精神的なショック,傷んだ心身を維持するための医療費の負担や休職・失職・転職などによる経済的負担増・困窮,事件によって続く捜査や裁判への精神的時間的負担,周囲の人々との関係変化による精神的被害などが挙げられると考えます。暮らしのさまざまが崩れていきます。そこに二次被害的な無理解や不誠実も入り込んできます。多くの人は,被害者がこうした理不尽な生活を強いられていることに気付いたり,考えることは余りないのだろうと私は考えています。
 被害者は社会の中で省みられることの少ない存在としてありました。法律的にも加害者の権利は重んじられる一方で,被害者や被害者遺族が当たり前のこととして守られるべき権利が尊重されずに放置される時代が長く続いたようです。遺族による自主的な動きが1970年頃から始まり,市民の支援とそうした動きに呼応する形で1980年には「犯罪被害者等給付金支給法」が制定され,その後の大きな事件を経て被害者が置かれた状況を改善するため,2004年に「犯罪被害者等基本法」制定に至っています。国が犯罪被害者の視点に立った施策に主体的に取り組み始め,自治体も支援金の支給を始めます。犯罪被害者の支援に取り組むために,都道府県単位に被害者支援センターが設置されていきました。それが現在の地点でしょうが,それでもやはり被害者は省みられることの少ない存在,社会的弱者のままにあるように私には感じられます。今回の報道はその一端なのだろうと受け止めています。

 娘は,早くから自身の受けた傷は「犯罪によるもの」との強い意思を持っていました。しかし事件に関する報道もありませんでしたし,加害者側や児童館関係者からの反応は何もなく,不安ばかりが膨らんでいく状況に置かれました。治療以外の最初の行動は,被害者支援センターに相談して自らが「被害者」であることを確認することでした。そこから事件に対する疑問を整理する作業が始まっていきました。娘のそうした行動の中で,私も意識的に被害者を考える方向に進んだように思います。大人の事件であれば,警察による捜査の動きなどから被害者としての行動に踏み出す機会をつかむことになるのでしょうが,加害者が少年法に規定される児童ということで,そのあたりが曖昧にされたまま置かれることになったとも考えています。加害児童保護者や児童館関係者の不誠実さや,事実と向き合おうとしない施設設置者(神戸市)の不作為によって膨らまされたものは二次被害です。それが娘の事件の苦痛に対する被害者側としての私の認識です。
 それはそれとしても,事件の渦中にありながらもその存在が忘れられがちな犯罪被害者に対し,改めて理解と支援を気にかけていただきたいと考えるところです。