娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。4の付く日に更新しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

なかなか知られにくい脳損傷

 私はこのブログで,事件発生時になぜ救急車が呼ばれなかったのかをずっと問題視してきました。野球のバットで頭部を殴られて気を失う。単純に考えれば脳の損傷による緊急対応が考えられたはずです。しかし現場の児童館長は,問いかけに返答できていたから普通の状態にあったと言います。この言説は,事件を矮小化するために救急車を呼ばなかったことを隠す言い方だと私は考えています(「脳振盪,知らない振り?」)。ここではそこに深入りしません。「脳に対する損傷」のことを整理しておきたいのです。私は,頭を強打されたら脳に損傷を受けて後遺症が出ると考えていたのですが,その考えが間違っていないことを示してくれる参考書を手に入れました。山口研一郎著『見えない脳損傷MTBI』(岩波ブックレットNo.1036)。少しずつ注目されるようになってきた脳外傷による精神障害高次脳機能障害について,長年その診療やリハビリに取り組んできた医師が執筆したものです。

 人は予期せぬアクシデントによって,頭を強打する機会は少なくありません。その際,一時的に意識が遠のくことがあっても数分後には我に返り,その後何事もなく済む場合もありますが,数日後あるいは数週間後になって日常生活に支障が出,精神的にも悪い方向に向かう例があることを記しています。脳に衝撃が伝わって引き起こされるもので,MTBI(軽度外傷性脳損傷)と呼ばれます。交通事故による事例が圧倒的に多いとされ,書籍には,赤信号で停車中の自己車両に大型2階建てバスに衝突されて朦朧とした状態に陥れられた女性の話も載せられていて,私は「これでも軽度?」と思いましたが,医療的には重度に分類されないのかもしれません。
 まずそのMTBIの症状について。つい先ほど話していたことを忘れてしまう・数日前の記憶が不鮮明といった記憶障害や,自らの考えを相手にうまく伝えられない・話を要領よくまとめられないといったコミュニケーション障害があります。感情面でも,無気力や脱抑制が深刻となって家族や親しい友人からも孤立して精神症状を悪化させることもあるようです。極端な疲労感や嗅覚や味覚の異常,神経過敏な症状,視力や聴力の障害などさまざまな症状に悩まされるとあります。さらに深刻なのは,事件・事故に遭遇した恐怖感が尾を引く心的外傷後ストレス障害(PTSD),様々な要因によって引き起こされる精神心理学的変化(心因反応)で,著者のクリニックでは2割にそうした症状が見られるとあります。
 次に発症の構造について。事故や暴力行為による外力が身体に及ぶと,頭部や首,背中などを強打することになり,頭部は前後左右に揺さぶられます。頭蓋骨内の脳脊髄液中にある脳も振動し,骨に接する部分から脳の内部にエネルギーが連鎖していくことで引き起こされます。一時的なアクシデントではなく時間経過の中で症状が進行することになり,事件直後に全ての症状が出揃うのではなく,数日・数週間・数カ月の過程でいくつもの症状が形成されていくようです。その結果,MTBI当事者は複数の医療機関でさまざまな「診断」を受けざるを得なくなります。

 多くの当事者は,事故事件直後の診察の際,意識は朦朧としつつも医師の質問に答えられることから異常と認められない場合も少なくないようです。医師に問われたことを問われた当事者が記憶していないことも少なくないのに,カルテにはそう残されます。受診が後日になると「事故直後は問題なく後に症状が発現した」とし,「事故との因果関係なし」とされるケースも多いようです。深刻なのは,CTやMRIと呼ばれる画像診断に際して「異常なし」の診断が少なくないことです。そうした結果,自賠責保険では,精神・神経症状が考慮されることも少なくなります。先に紹介した女性も,自賠責保険では「非該当」とされ,バス会社から賠償も支払われていません。労災でも同様な扱いがまかり通っているようです。

 MTBIの研究は1970年代から始まり,90年代以降は米欧の学会で様々な研究発表が行われるようになり,日本でも2007年以降に研究が進展し,13年には厚生労働省による調査研究報告も行われます。とはいえ,今もって医学界においては確立した概念とはいえず,医師同士に共通した認識があるわけでもないとあります。近年はミクロレベルでの画像解析が可能になってきており,国でもMTBIに対して慎重な姿勢を見せるようになってきていますが,自賠責や労災の判断現場では無視されることが多いとのことです。その理由として「確立された検査ではない」「被験者が少ない」とし,旧来からの診断手法が反省もなく持ち出されているようです。

 我が娘も労災においては,事件直後以外の診断を認めてもらえずにいます。今も続く脳振盪後遺症治療も,です。数日後・数週間以降は無視されました。余りにも理不尽です。それゆえ娘の現状に大きな疑問を感じています。医師も脳損傷の現状に疑問があるからこの書を記したのだと思います。書の中に「将来的には,被験者の数が増え」れば認められる可能性は高まるともあります。私は,そこを信じたい,1日でも早くそうなることを願います。