娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

脳振盪,知らない振り?

 先日,朝日新聞が「ヘディングの危険」と題する3回連載をしました。サッカーのヘディング反復が子供の脳に悪影響を与える可能性があるとして,日本サッカー協会がヘディング練習のガイドラインを発表したことを受けてのものでした。
 ヘディングの危険性に対する出発点はサッカーの母国・英国で,20年ほど前から注目されるようになっています。ワールドカップでも活躍した名選手が晩年になって記憶障害や認知症の症状に苦しめられた事例が公表されて関心が高まって研究なども行われます。近年の研究では,ヘディングのリスクは「認知症などの神経変性疾患で死亡する可能性が一般より3.5倍高い」とするものや,20回ヘディングした選手たちの脳機能が練習前から41~67%低下したとの研究発表もあるようです。ゲームでこれまで普通に見られたヘディングという行為が,命にかかわる課題であることが関係者への衝撃となっているといえます。

 朝日新聞では今年1月もラグビーによる選手同士の衝突による脳振盪とその後遺症を取り上げていましたが(「ノウシントウは侮れない」),脳振盪や頭部外傷への対応はスポーツ界が先行してきています。格闘技系やコンタクトスポーツは勿論のこと,サッカーのように選手同士の衝突が起こりやすいシーンを持つこともあり,頭を守ることの重要性が早くから意識されていました。日本臨床スポーツ医学会による「頭部外傷10か条の提言」が公表されたのは,2001年のことで,最近ではサッカーなどの試合で脳振盪とされた選手の緊急対応も迅速に行われるようになってきています。
 とはいえ,スポーツ界の中ではこの種の報道は今年も続きました。特に大相撲では,初場所に立ち合いで頭からぶつかった力士が脳振盪を起こしてフラフラになったことが問題となり,その後の春場所には,頭から土俵に落ちた力士がその後4月下旬に死亡するという重大事態も起きています。この時は土俵上に倒れた力士への対応に6分間も時間を要したことも批判されており,相撲協会の方でも早急な取組みを進めているようです。
 この問題は,単にスポーツ界だけの問題ではなく広く日常生活の中でも起こり得ることなので,頭部外傷や脳振盪という緊急事態に対して迅速な対応=救急車を呼ぶことができるように普及が進むことを切に望んでいます。

 以上のような頭部外傷・脳振盪のことを情報の下敷きとして,娘の事件の話をします。娘は松原児童館の前で,他の児童を指導している背後からバットで頭を殴られ昏倒しました。定かではない娘の記憶の中では,近くを歩いている人が大声をあげながら近寄ってきて抱き起してくれています。児童館の資料にも肩を抱えてくれた「通行人の女性」が記されています(この後,この女性は全く姿をみせません。警察も捜せないのですから。不思議です)。その後,娘は児童館で横にして休ませられます。1時間半も休ませれば「緊急事態」ではなくなります。後に「なぜ救急車を呼ばなかったのか」とする疑問に,「他の職員の問いかけに返答」できていたから,つまり通常の状態にあったからだといいます。「大丈夫か」と聞かれて「大丈夫」と答えるのは脳振盪では普通にある反応です。ただし本人にはその記憶が残らない「記憶消失」です。ここまで児童館側の反応をみると単に脳振盪を知らなかったのかもしれないと受け止めることになりますが,それだけなのでしょうか?

 事件時の周辺を俯瞰して考えると別な認識が浮かびます。バットで娘を殴った子供は,娘からの被害届提出による警察の調査によって児童相談所へ通告されますが(大人でいえば犯行確認),児童館は事件数日後に保護者を指導して学童保育の退会届を出させただけです。子供を野放しにしました。何よりも,児童館や施設設置者である神戸市は,被害者である娘から一切の聴取をしていません。娘を抱きかかえてくれた通行人の女性は,その後の警察の調査でも捜せませんでした。神戸市は,半年後の記者発表で自分たちに都合のよい部分だけを発表しています。事実はないがしろにされたままです。事件翌日の児童館の報告に対して市の担当者は「状況が落ち着いてからメモで良いので内容を送って」と実にノンビリとした反応ですが,事実はここから歪められています。事件は矮小化させる一環の中で救急車は呼ばれなかったと私は考えるのです。

 娘の脳振盪後遺症の治療は今も続いています。この専門医にたどり着くまで1年以上の時間を要しています。命にかかわる脳への衝撃であったことを医師から説明されています。今後に対する懸念も説明されており,娘は新型コロナウイルスのワクチン接種を諦めました。以上に記した出発点は児童館の対応です。子供の未来に関わる施設職員の,命に対する意識の軽さをずっと考えさせられています。