娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

「事故」現場はどのようにできたのか

神戸市記者会見が明らかにしたこと③

 

 では,被害者とは異なる神戸市役所や指定管理者の現場はどのように作られたのか。

 神戸市役所の見解について,3月市会常任委員会で市部長は「検証しました」と答弁しています。検証した結果が,12月記者会見の発表内容ということでしょう。また18年6月市会常任委員会では,事件後の「6月5日」に職員が「現地状況を確認をしております」と答弁しています。以上のことを考えると,事件発生日から6月5日までの間に,彼らの行動を示すものがあるようです。

 改めて,児童館資料や情報公開資料で経過を確認すると次のようになります。

5/25 児童館館長から市担当に電話で報告されます。担当からは「神戸市として特段対応する必要はないが、状況が落ち着いてからメモで良いので内容を送ってほしい。被害にあわれた職員の回復を願っている」(児童館資料記載文)旨の返答がされます。

5/31 FAXによる報告書が市に送付されます。(市情報公開資料。指定管理者資料では5/29になっています)

6/02 市担当から児童館に「青少年課の課長と係長が詳細を聞きたい」旨電話があり、「調整の結果、5日の14:00にお越しいただく」(児童館資料記載文)ことが決まります。
 6/05 市担当課長が児童館へ。児童館長が「先生の容体、当時の状況とともに児童の日常の様子、児童館側でとってきた対策や今後に進めていこうとしていた方向性など、資料を用いて説明」します。課長・係長は「児童館として相当な努力をして下さっていたことがよくわかります。ここまで対応してくれていた中で起こってしまったことは、市としてもマンパワーの確保など、まだまだ協力していかないといけないと認識しています。今はとにかく負傷された先生の復帰を願うばかりです」(児童館資料記載文)と労い的言葉を述べています。

 以上が,児童館作成資料と情報公開で入手した資料からわかる経過です。そして,児童館作成資料では,事件発生日から6月5日までの記載はありますが,この後,私と娘が指定管理者を訪問して警察への協力を求めた6月28日まで,記載がなくなります。また市の資料でも,6月5日に関する資料の後,12月の記者会見まで何も情報はありませんでした。つまり,6月5日が一つの節目になっているということが重要です。

 指定管理者から神戸市への最初の一報があった時,市担当が「特段対応する必要はない」と返答したのは,「事態は大したことではない」と受け止めたことを意味します。市は,報告の提出,事件を起こした児童や他の児童への対応などを求めたと考えられます。それらの目途が付いたところで対応作業の確認をした,それが市役所から課長が訪れた6月5日ということになります。

 そのような流れの中で,改めて6月5日の課長の言葉を読むと,「手打式」として納得できる文章になっています。部長の答弁にあった「検証」もこの時と考えるのが自然です。そのシナリオの中では,受傷した被害者が復職すれば「すべて終了」ということになっていたのでしょう。児童館資料の「殴る」という表現が市資料で「叩く」に変わったのも,加害児童が通う小学校が事件翌日に連絡を受けていながら教育委員会に通報しなかったのも,この流れの中にあると考えています。6月5日で事件,つまり彼らの中での「事故」は終わっていたと考えられるのです。