娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

記録で確認できる隠蔽・矮小化

 これまでの経過を考えると,事件の隠蔽・矮小化の件は小さくないし(’19/06/19『やはり事件は隠蔽から動き始めたのではないか』 ’18/11/09『事態は矮小化されている』),もう少し丁寧に説明したいので,手持ち資料で再確認します。

 事件の隠蔽・矮小化が行われた事件初動期に関しては,被害届提出後の2017年7月中旬に指定管理者から送られた経過資料があります。被害者からすると,かなり疑問のある資料ですが(’18/10/08『児童館が作成した資料(1) (2) (3) 』),ここでは深入りしません。この資料で重視しているのは,以下の部分です。

5/25 (事件翌日,児童館館長が市に電話を入れ,市担当に「事故内容」を口頭で伝え,報告方法を確認した時の担当からの返答)「神戸市として特段対応する必要はないが、状況が落ち着いてからメモで良いので内容を送ってほしい。被害にあわれた職員の回復を願っているとのこと」
5/29 「神戸市へ報告書をFAXする」(市情報公開資料では「5/31」)
6/02 (市担当から児童館に電話)「FAXは確認した。青少年課の課長と係長が詳細を聞きたいとのこと。調整の結果、5日の14:00にお越しいただくことになる。」
6/05 (市として初めて現場にこども青少年課長・係長が出向く。児童館長が状況を説明し,これに対して課長・係長から)「児童館として相当な努力をして下さっていたことがよくわかります。ここまで対応してくれていた中で起こってしまったことは、市としてもマンパワーの確保など、まだまだ協力していかないといけないと認識しています。今はとにかく負傷された先生の復帰を願うばかりです」

 私は,6月5日の課長の言葉を見た時に「コイツら,何を寝ぼけたこと言ってんだ?」と疑問を覚えました。時間調整までして「手打ち式」じゃないか,と。それが神戸市役所に対する疑問のスタートになります。
 しかし,ここで注目したいのはこれではなく,5月25日の最初の報告です。報告を受けた担当の「特段対応する必要はない」「メモで良いので内容を送ってほしい」という返答です。もし報告内容に緊急性あるいは重大性を感じさせるものがあった場合,このような返答にはならなかったはずです。児童館の業務の中では,日常的に起こりうる事態,それも軽易な内容だったことが推測できます(バットで人を殴って倒すことが「日常」ってことはないと思いたいけど)。
 加えて,神戸市の『公文書管理規程』には,電話などで「重要であると認められるものは,その要領を記載して,処理しなければならない」とあります。情報公開で事件に関連する公文書を求めた際,この電話に関する文書はありませんので,電話を受けた担当は内容が「重要である」とは認めなかったことがわかります。最初の報告から現地確認までの日程が切迫したものになっていないのも,報告の軽さからきているはずです。

 要するに,指定管理者の,「大ごとではない」という方向で事件を収束させたかった思惑が透けて見えます。「事件」を隠蔽して「事故」に仕立て直したわけです。この思惑に,救急車を呼ばなかったことや,保護すべき加害児童が放置されたことを重ねて考えると,彼らが求めるところは(=矮小化)より鮮明になります。市は「軽い」報告を受け取ったので,6月5日の課長の,随分と「ぬるい」ねぎらいの言葉につながることになります。市としては「一件落着」を迎えて安堵し,指定管理者にすれば狙った方向に落ち着けられて「ほっと」した,というあたりでしょうか。

 しかし,これでは電話で報告された内容と,被害者が知る事件現場の認識(’18/10/05『娘が見た事件現場』 ’18/10/05『考えられる事件の要因』)には大きなズレが生まれるわけで,被害者にはこのズレに苛まれる日々が始まることになります。

 昨年春,神戸市に情報公開を求めた際,先に掲出した「5/29(または5/31)のFax」と「6/05の児童館と課長・係長」の面談記録があることはわかりました。しかしFaxは公開されませんでしたし,面談記録は,日時と場所,面談者である児童館長・課長・係長の職名が記された部分だけで,あとは全て隠された状態での公開でした。その理由として「当該事案の状況等が記載されているため、特定個人が識別されるものであり、公開すると個人の平穏な生活に支障をきたすおそれがあることから」,「非公開」とありました。これまでのズレる回答を作成してきたこども青少年課が,文書公開でも得意とする「プライバシー」に逃げ込んだと考えています(’19/05/03『プライバシー?聞いてないけど』)。隠された部分にこそ,最初の電話の内容,その報告を前提とした現場確認,つまり被害者の記憶とは異なる事件現場(=矮小化された「事故現場」)が記されているはずです。ぜひ見てみたいものです。
 そして市が,被害者に「会う立場にない」として指定管理者に委ねようとするのも(’19/07/29『「指定管理者」という隠れ蓑』),質問とかみ合わない回答が繰り返すのも(’19/07/14『問いと答えがかみ合わない!』),そうした矮小化に気付いているから,もしくはそれに加担したからにほかならないと考えています。

 一つ,危惧していることがあります。神戸市はこれまで,指定管理者と一緒になって事件を軽易に扱おうとしてきましたし,今もその姿勢に変わりはありません。今後,事件に関する記録類は「軽易なので」,公文書管理規程にある文書保存期間が過ぎたので「廃棄しました」,みたいなことが起こるのではないか,と。