娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

いじめを隠蔽したい人たち

 私は,いじめも暴力行為としてこのブログで扱ってきましたが,いじめそのものもさることながら,いじめの現場にいる教員や教委が,いじめの隠蔽・矮小化に走っていることを主に取り上げてきました。またまたそのような報道が今月に入ってからありました。兵庫県加古川市で,2016年9月に市立中2年の女子生徒がいじめを苦に自殺した事件に関連し,昨年9月に遺族が市を相手に損害賠償を求めて提訴したとの内容でした。

 事件を振り返っておきます。女子生徒は1年生だった15年夏頃から,部活動の際に他の3人の部員から「うざい」と悪口を言われるなどの仲間外れが常態化していたようです。その年の11月,女子生徒は両親に「部活をやめたい」と訴えたことから,両親は部活顧問に相談します。顧問と副顧問は部員を集めてメモ用紙を配布し,いじめの内容を書くように指示します。メモを確認した顧問は部員同士のトラブルと判断して「お互い様だろ」と発言し,この判断を受けた副顧問はメモをシュレッダーで廃棄しました。いじめはその後も続き,女子生徒は死を選びます。顧問らはメモをシュレッダーで破棄したにも関わらず,市教委が設置した第三者委員会に対しては「紛失した」と答えていたといいます。第三者委員会は,報告書でいじめが自殺の原因と認定し,顧問らを「女子生徒に無力感という精神的な打撃を与えた」と批判しました。当然の批判です。
 問題があったのは部活顧問だけではなかったようです。小学時代に始まったいじめは中学にも持ち越され,クラスのムードメーカーが無視や悪口を率先したことから,1年生の3学期頃から担任に提出するノートに「しんどい」「だるい」との記述を繰り返していたようです。2年生になってもいじめは続き,担任へのノートに同様に記述したようですが,1,2年時の担任はいずれも「部活や勉強についてだと思った」といじめとは受け止めなかったようです。2年時6月のアンケートで生徒は「陰口を言われている」「無視される」などの質問に「あてはまる」とし,「のびのびと生きている」「生活が楽しい」には「あてはまらない」と答えたことから,「要支援領域」との判定結果を出したようですが,担任からのケアはなかったようです。しかも,この最も注意を要するとの警告が出たことについて,担任は保護者に明かしていませんでした。この不作為も責められて然るべし。なぜ寄り添えなかったのか。

 加えて学校や市教委の対応です。学校や市教委は,生徒の死後もアンケートの存在を遺族に知らせることはなく,遺族は第三者委員会の調査過程でそうした事実を聞かされたようです。部活の副顧問(当時)が遺族と面談した際に「シュレッダーにかけた」こと認めていたようですが,この面談には校長も同席しています。校長は顧問にも破棄したことを確認したことを認めたうえで,メモの破棄については「肯定も否定もしない。個人で答えられることではない」と話したと言います。市教委などの顔を伺いながらでなければ答えられない,ということなのでしょう。
 市教委は,メモがシュレッダーで破棄されたことを知りながら,教職員の処分権限を持つ県教委に報告していなかったとの記事もありました。県教委は18年11月,破棄を把握しないまま16年当時の校長を戒告の懲戒処分,顧問は懲戒に当たらない厳重注意,副顧問は処分なし,と処分したようですが,結果的に処分が軽くなったようです。何よりも,市教委が遺族との和解に向けた交渉では,「いじめを示すメモを当時の部活動の顧問らがシュレッダーで破棄した」との文言を合意文書から削除するよう求めていたと言います。呆れた話です。
 もう一つ私がここまでの報道内容で気になったのは,第三者委員会の報告書です。報告書は「いじめは明白であったにも関わらず見過ごされた」と認定しているようですが,その内容がすべて明らかにされてきたわけではないようで,市教委は「学校が対応すれば自殺は防げた」など一部を公開するにとどまっていたようです。その理由について,「関係者への配慮」を理由にいじめの内容や経過を非公開としていたというのです。その「関係者」とは,誰ですか?

 一連の対応について,生徒の両親は「保身ばかり考えて責任を認めようとしない」と批判しているようですが,ご尤もな話です。学校現場から指導する立場まで,何を守りたくてこんなに往生際の悪い行動を繰り返すのでしょう。保身・体裁・世間体・組織・プライド?
 確実に言えるのは,こうしたみじめな行動のツケは被害者がかぶる構造になっているということです。被害者を何度も傷付けるこうした行為に気付かない人が,余りにも多過ぎます。