娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

「預かる」と「育てる」の間

 娘の事件現場が学童保育であったこともあり,事件以来,子供が集まる施設や制度,いじめなどの問題に対する関心を持つようになりました。そうした関心からの話です。

 今年7月,福岡県中間市の保育園で,登園バスの中に取り残された5歳の男の子が熱中症で死亡したとの報道がありました。この保育園では,1年半ほど前から園長が1人でバスを運転して送迎を続けており,事故当日の朝も園児7人を乗せ,園に到着後の車内点検もせず,職員間による出欠確認も行わず,夕方になって発見された男児熱中症で死亡していたのでした。こうした保育園での置き去り事例は,過去にも何度かあったようです。また保育組織の全国調査でも,回答した施設の約2割がバスを使った送迎を行い,運転者1人しか乗車していない,手順書が準備されていないなどの回答もあり,事故が特異な事案とも言い切れないようです。事故の背景には制度的な不備もあるようです。
 ただ,事故を起こした園ではバス事故後に保護者アンケートが行われ,暴言や虐待など園児に対する不適切な指導を指摘する回答があったことや,職員がこうした虐待などに関する証言をしないよう依頼したとの報道もありました。ここまでくると事故ではなく事件です。過失などというレベルとは違う悪意によるものであることを見逃してはなりません。子供という未来人と向き合う職業には不向きな人がいた,特異な園だったようです。

 こうした保育園で働く職員=保育士の労働環境を巡っては,「賃金が低い」とか「残業が多い」などがこれまでも指摘されています。現在政府が取組んでいる経済対策の一環に上げられている「処遇改善が遅れている」職種にも保育士があげられていますから,課題を抱えた職業ともいえます(幼稚園教諭もこれに続いてあげられていますので,子供関係全般がその傾向?)。奥が深い問題なので深入りはしませんが,子供に向き合う仕事の専門性の問題は心配しています。保育士の仕事は専門知識や経験を必要とされる性格を持つ仕事と理解していますが,その仕事の専門性が十分に評価されない現状にあるわけで,評価されないからこそ給与や処遇の問題にも反映されているはずです。
 私がこのことを考えるのは,同じような「緩さ」を学童保育や児童館にも感じるからです。学童保育に携わる人に関し,資格・経験の有無や雇用形態に関わらず「学童保育指導員」と呼んでいましたが(今は「放課後児童支援員」のようですが),専門職として厚遇されることもなく,非正規雇用者が多数を占めている実態があります。先月には,学童保育現場で感染防止対策を図るには基準が無理な水準にあるとする署名活動も行われていましたし,学童保育の要件を満たさない施設に対して過大に交付金が支出されていたとする会計検査院の指摘に関する報道もありました。

 保育園や学童保育の「預かる場」と,幼稚園や学校の「育てる場」の違いがここに表されているよう感じています。同じ子供を対象とした職業でも,指導員・支援員と教員との社会的な処遇の違いでもあります。歴史的な積み重ねの違いもあるのですが,双方の専門職資格取得の難易度の違いでも明らかです。前述の,報道されるような「預かる」組織の事故・事件の背景には,制度が持つ根源的な問題があるのではないか,育てる組織と比べて「緩さ」があると考えざるを得ないのです。
 昨年春の,新型コロナウイルス感染症対策のための学校における「一斉臨時休業」の際,休校となった子供たちの受入れ先として児童館・学童保育が取り沙汰された時,私には大きな不安を感じましたが,それは上記のような預かる組織の「緩さ」に対する疑問を持っていたからでした。ただその後間もなく,文科省から「放課後児童クラブ等の活用による子どもの居場所の確保」に関する指示が出され,学校教員が業務に携わることが示されました。「預かる」組織では不安と感じる私の感覚は間違いではなかったようで,少し安堵を覚えるところがありました。

 話を今日のテーマに戻します。娘が事件に遭った現場は児童館であり,学童保育の中でした。事件に対する児童館への疑問をここ一月ほど整理して書いてきましたが,事実に対して向き合う姿勢が欠けていることは確かです。そうした人たちについて考えると,事件の背景として「預かる」組織の「緩さ」が漠然と浮かんでくるという話です。(「育てる」組織が万全とは思っていません。最近の「いじめ」問題への向き合い方の中では事実と向き合おうとしない人たちが少なくないことを感じています)