娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

「ウレタン製バット」と「叩く」が意味するもの

 前回,労災の判断に関する疑問を記しました。「労働者災害保険審査官決定書」を読み込む中で気付いたことです。その中の一つとして「災害発生状況」の記載内容,同僚と上司の証言の違いにも触れました。子細については,『やはり「うずくまる」は作為だった』を。ここで使用された上司の証言は同僚の倍以上の記載量なのですが,これを子細に見ていくとさまざまな?に気付きます。そのことを踏まえたうえで,今回は事件に関連するモノとコトについて考えてみたいと思います。「バット」と「叩く」です。

 2017年5月の事件の際に児童が使用した凶器について,上司(児童館長)は「ウレタン製バット」と聴取に答えています。「ウレタン」は,プラスチックの一種である「ポリウレタン」のことで,柔軟性・衝撃吸収性のある素材と考えられることが多いようです。ここが要注意なのです。同じ決定書の中では,凶器のバットについて「表面はポリウレタンで柔らかく、芯材は折れにくい繊維強化プラスチック」としています。繊維強化プラスチックは,一般的にはFRP(エフアールピー)と呼ばれ,軽くて強度や耐食性・成形性にすぐれていることから,船舶や航空機,自動車などにも使用されています。児童の触法調査を行った警察官が「殺傷能力がある」という意味もそこにあったはずです。そう考えるとバットは,FRPを芯材にしてポリウレタンを塗布しているので,「ウレタン製バット」ではなく,「FRP製バット」と表現されるべきはずです。
 「ウレタン製」とされたことで,事件が軽い方向に捻じ曲げられたと私は受け止めています。決定書において,労災医員なる専門家が唐突に「バットについては金属バットなどではなく、表面はポリウレタンで柔らかい子供用のものであったことは確認されている」と記したのは,その成果と言えるのかもしれません。児童館の設置者である神戸市に至っては,被害者からの文書質問に対して,バットは競技用ではなく,製造元のカタログ内でも「バットの表面はポリウレタンで柔らかい」との記載がなされていることを強調しています。特に,事件翌年3月の神戸市会の委員会で委員から事件の詳細・経緯を問われた際に,市の部長は「持っていたバットで、あのーオモチャではないですけれど、何ていうか柔らかいポリウレタンのバットで指導員を、叩いてしまった」と答弁をしています。これも同様の成果なのでしょう。

 もう一つここで述べておきたいのは,まさにその「叩いてしまった」です。決定書で事件発生を知らせた児童が「先生がバットで叩かれた」と職員に伝えたことを児童館同僚が証言していますが,事件を冷静に判断しなければならない人たちが子供と同じように「叩いた」を使用することには違和感を覚えるのです。事件2カ月後の児童館作成資料の中には「叩いた」と「殴った」が混在していましたが,事件7カ月後に新聞報道された時の,神戸市作成資料では「叩かれた」のみになっていました。事件1年後,私ども親子から神戸市に出した質問状では「殴られた」で統一して送付しましたが,返ってきた答えでは「叩いた」と「殴った」が混在していました。
 辞書では,殴るには「力をこめて打つ。強く打つ」とありますが,叩くには「ぶつ。なぐる」もありますが「つづけて打つ」とか「打ち合わせて音を出す」とか軽い動作も含まれます。脳震盪を起こし,聴力を奪うような行為だからこそ「殴る」であって,「叩く」を用いることは事実の矮小化としか思えないのです。労災の決定書でも上司の証言は,「殴る」を1回使っていますが,「叩く」を5回使っています。

 「ウレタン製バット」にしても,「叩く」にしても,事実を認めないため,事件を矮小化する意図のもとでの使用だと私は考えるのです。児童館設置者にしても労働者災害担当者にしても,事件によって苦しむ側のことは考えたくない人たちなのだと考えています。
 今行われている選抜高校野球大会で,審判が誤審を認めて謝罪した報道がありましたが,多くはそれを好意的に受け止める反応だったと思います。上に記した「誠実ではない人たち」のことを考えている私にとって,この審判団の正直で誠実な対応は,「人間なかなか捨てたもんじゃない」と思わせてくれる,気持ちを少し立て直す話でした。審判団,応援します。