娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

「発達障害だから暴力」という発表

神戸市記者会見が明らかにしたこと⑤

 

 12月19日に行われた神戸市の記者会見では,児童が「発達障害だから」暴力を振るった要因になったような発言がされました。この日夕方のテレビニュースで,課長が笑いがちに説明している場面を私も録画で見ました。暴力を発達障害と結び付けたわけですが,不思議なことに記者会見資料には「発達障害」の文字が見当たりませんでした。

 この後,3月市会常任委員会でこの発言に関する質問が出た時,答弁に立った部長はだいぶ回答に窮し,「私は発達障害のお子様という表現はしない」と述べながら,一般論に終始する発言を繰り返していて,何か滑稽さすら感じました。

 5月に市長宛に提出した質問にも,なぜ「発達障害の言葉を使ったのか」とする質問を入れましたが,明確な答えはありませんでした。質問には神戸市役所内部に発達障害関係部署があることにも触れ,市役所内部での情報共有の有無に関する質問も入れましたが,そのことへの回答もありませんでした。話してしまったことに触れないようにして,何とかボカしてしまおうとしているのだと私は受け止めました。

 発達障害に関して,2004年に発達障害者支援法が誕生したとはいえ,一般にはそれほど理解者が多いわけではなく,社会的認知が重要として見直されている状況にあると考えています。最近のNHKにおける発達障害プロジェクトの取り組みなどもそうした一環なのだろうと,自分なりには考えています。そのような状況を考えると,記者会見での課長の発言は安易に過ぎるとしか言いようがありません。

 被害者である娘は,私たちが反論のための記者会見を行った際,市課長のこの発言を特に問題視していますので,その理由についても触れておきます。娘は,さまざまな課題を抱えた子供の教育に関心を持ち,さらに高めたいと考えて大学院にも進みました。その「さまざまな課題」の中には発達障害児の教育も含まれます。当然ですが発達障害が暴力と結び付くとする考え方は持っていません。ところが,自分自身が関係した事件の中で,発達障害を持つ児童を冒涜するような言動が出てしまったわけで,そのことをとても残念がっているわけです。

 神戸市課長は何ゆえ「発達障害」を持ち出したのか。これもやはり,市が情報を指定管理者に依存していることから来るものと考えています。前にも記した話ですが,事件1カ月後,娘と私が指定管理者の事務所を訪問した際,話は全体的に私が主導する形になりましたが,その中で指定管理者側から明確に返答された言葉のひとつが「加害児童は発達障害」でした。児童館で加害児童に直に接していた娘は,加害児童を発達障害としていることに疑問を持っていました。この場では発言しませんでしたが,終わって外に出てから,発達障害が暴力と結び付かないこと,加害児童には発達障害とは別の資質的要因が考えられること,発達障害の診断が専門医によって行われていないケースが多いこと,小学校低学年の時点での発達障害に関する診断は慎重を要することなど,説得力のある説明をしてくれました。それゆえ暴力の原因を発達障害に結び付けた神戸市課長の発言を許せないのです。私は今回の事件の関係者の中で,一番発達障害に詳しいのは娘かもしれないと考えています。神戸市が被害者に聴き取り調査をしていれば,失言をする確率はもっと下がっていたと思います。そのような基本的な作業も怠るほど,彼らの対応はいい加減だったのです。

 しかし,これまで説明したとおり,神戸市は指定管理者の情報しか持とうとしませんでした。私どもが出した質問の回答から、市内部の発達障害関係部署との情報共有も無かったことがうかがわれます。そうした経緯の中で発表が行われたと考えると,起こるべくして起こった失言としか言いようがありません。記者発表資料には入れていなかったものの,発表に気をよくした課長がサービス精神を発揮して言ってしまったと考えると,笑いがちなその表情の理由にもつながりますが,そこは私の想像の域にとどめておきます。

 いずれにしても,記者会見をした神戸市の課長は,世間に対してきちんと謝罪すべきだと考えます。

 (10/26『まともに答えず他人のせいに』も関連内容です)