娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

隠され,偽られた事件情報

 社会への事件情報周知=報道と考えた場合,少年事件に関する報道をどう思っているか,について前回記しましたが(’19/02/25『少年事件と報道』),実際の娘の事件では,情報そのものが隠され,正しい事件情報が流されませんでした。改めて報道との関連から記してみたいと思います。

 2017年5月24日に神戸市松原児童館で起こった事件が,直後に報道されることはありませんでした。その後の経過から推測すると,指定管理者から神戸市役所へは事件翌日に報告されますが,神戸市役所は現地確認すら行なっていないので,報告内容は「重大案件ではない軽易なもの」,つまり世間に周知するほどの事案ではない,と確認しあっていたと思われます。逆に何も起こらない状況に疑問を感じた娘(被害者)は,1カ月後警察に被害届を出します。本来であれば,市役所は報告とは違う事件現場の情報が現れたことで,それまでの事件情報に疑問を感じる,もしくは自身で情報収集を図る行動が有ってもよいはずですが,なかったようです。市役所も指定管理者も事件に対する認識を変えず,むしろ被害者を無視することにしたのでしょう。
 この頃の娘は,事件に狂わされた暮らしの中で,もがいていました。片耳の聴力や身体の異常を含めて事件で失ったものを周りの人に説明しようとしても,一言では説明できない環境にあることを思い知らされます。事件そのものが,どこにも知らされていないわけですから。事件の最初からを説明しなければなりませんし,「小2児童がそうした事件を起こせるのか」という素朴な疑問も含めて事件に対する懐疑の言葉もあったようです。被害を負った者がその説明するには酷なことが少なくないのです。「事件報道がされなかった」ことによる被害といえます。

 その後,殺人事件で亡くなった大学時代の先輩の父親が声をかけてくれ,その繋がりで新聞記者の紹介があり,事件のことを取材してもらうことになります。取材では事件の性格も考慮して現場を「兵庫県内」とし,できるだけ場所の特定を避けるよう配信されました。しかし,報道日の’17/12/19,追加取材をしていた神戸新聞が「神戸市内」として掲載しました。不意を打たれた神戸市役所は,急遽記者会見を開きます。
 しかしその記者会見の発表内容は,杜撰なものでした。神戸市役所が準備した資料によると,「事件」ではなく「事故」とし,「殴った」ではなく「たたいた」と表現し,凶器のバットを「ポリウレタン製」としていますし,原因は「野球ができないことを不満に感じ」てのものとしています(’18/10/10『神戸市や指定管理者が考えた事件現場』)。被害者からの聴取・調査を一切行なっていない神戸市役所が持つのは,指定管理者からの情報だけでした。被害者からすると,発表内容は事件を小さく思わせるための印象操作としか思えない情報だけに見えます。こうした資料しか用意しないほどですから,記者会見の中で「大した事故ではないのに大袈裟に新聞が書いた」とか「被害者が勘違いして被害届を出した」ぐらいの説明がされたのではないか,と勘繰りたくもなります。いずれにしても,後遺症で悩まされている被害者に対して,「大したケガじゃないのに」と言い放つ行動にほかなりません。被害者に対する侮辱です。

 この神戸市の記者会見については,翌日の神戸新聞で記事確認はできましたが,ほかの新聞では見かけませんでした。会見当日のTVでは,会見した課長の「発達障害だったから暴力」という疑問符の付く話が放映されています(’18/10/13『「発達障害だから暴力」という発表』)。神戸市役所の発表に疑問を持った私たち親子も,2日後に神戸市役所で記者会見を開き,救急車や警察への通報がされない不誠実な対応や発達障害に対する間違った発表を批判しました。報道にはもっと取り上げてほしかったのですが,掲載してくれた新聞は,最初から娘を取材してくれている新聞社だけでした。前回記したように,少年事件の報道には少年法報道規制やマスコミの自主規制などもあるので,そうした部分が影を落しているのかもしれないと考えています。

 いずれにしても,事件の情報が流されなかったり,真実と異なる情報が流されることで,被害者は苦しめられました。いい加減なことをすればそれで苦しめられる人がいる,という話です。加えて適正な情報が把握されていないので,効果的な再発防止策は置き去りにされます。最近のさまざまな事件で第三者委員会による調査が行なわれるようになっているのは,これまでの現場対応では真実の把握が困難で,適切な再発防止が行なえないからだと考えています。これまで記してきた神戸市役所や指定管理者の対応は,まさしく過去の課題満載の対応でしかないことを物語っています。しかも「欺き」の臭いまで漂わせているようにしか思えません。