娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

神戸市,今もって「事故」にこだわる

 「事件」か「事故」かの話です。このことについては,これまでも触れてきました(’18/10/22『事件なのか事故なのか』)。なぜまた取り上げるかというと,3月の質問・回答のやり取りでも神戸市の回答には,「事故」の文字が散見したからです。

 まず,事件と事故の違いについて。辞書を引いただけでは明確でない部分もありますが,一般的には,意図的に行動する加害者がいて被害者もいるのが「事件」,過失などによる被害者がいるのが「事故」ではないでしょうか。娘の事件では,加害児童が故意に娘の頭をバットで強打していますから,疑いなく「事件」と私は考えています。「事故」として加害者を曖昧にすることは,被害者も曖昧にされることであり,被害者がさらに追い込まれることにつながると考えています(’18/10/23『事件と事故にこだわる理由』)。

 去年6月の前回質問の回答でも,神戸市は「事故」という言葉を「事件」より多用していました。前回の場合,「事件」の文字は10回登場しましたが,このうち6回は被害者が記載したタイトルなのでこれには従い,回答文章の中で4回「事件」の文字を使っています。これに対し,「事故」の文字は6回使われていました。「事故」として扱いたい気持ちの現れでしょう。

 今回も,質問状では全て「事件」と記しましたので,引用となるタイトル部分では「事件」と書いていますが,それ以外では5回「事故」の文字が使われています。このうち2回は前回回答のコピーなのでそのままになったのだろうと思いますが,他の3回はやはり意地でも「事件」を使いたくなかったのでしょう。いずれにしても,被害者側としては,文中にこの「事故」という文字を見るたびにやりきれない憤りを覚えるのです。

 もともとこの事件の情報は,指定管理者が矮小化した報告として神戸市にもたらされ,神戸市はこれを受け入れて「手打ち」までしてしまいます。その後,被害者が指定管理者とは違う情報を持って登場したにも関わらず,神戸市はこれを無視し,かなり疑問のある対応を続けます。指定管理者が書いた隠蔽のシナリオに固執するとともに,公としての不作為を続けたとみています。彼らとしてはそこを隠したいようですし,今もそのレールの上にあります。「事件」の語感が持つ大ごとな印象を避けたい,ましてや児童が起こした事件なので目立たせたくない,ということでしょう。ここまで来るともう隠蔽の共犯です。「事故」表記は,その意思表示と受け止めています。事件以降の自らの不作為・失態を自覚しているからこそ,そのように書きたいのでしょう。

 今月初め,さいたま市の中学1年男子が昨年夏に自殺した問題に関連して,学校側が「不慮の事故」として当初説明していたとする報道がありました。世間的なことを考えて,事件を「大ごとではない」としたい人は「事故」を使います。娘の事件でも,指定管理者が労災書類の送付書に「不慮の事故」と入れていたので,面会した時に抗議しました。事件性の強い出来事でも「事故」の文字で全体が矮小化される方向にねじ曲げられること,事実を知られたくない人にとって「事故」という言葉が使い勝手のよいツールであることを覚えておいていただきたいと思います。そして,そういう人たちがいる限り,類似事件の再発は防げないと考えています。

 娘の事件は過去の,終わった話ではありません。今も続いています。彼らのそういう姿勢が続く限り終わらないのです。今日のタイトルに対照させておきます。
被害者,今もって「事件」にこだわる!