娘をバットで殴られて

2017年5月24日,神戸市松原児童館で小2男児が職員を背後からバットで殴る事件が起きました。その職員は私の娘です。事件についてのあれこれ,世に伝えられる暴力などについて考えたあれこれを記しています。私の名前は,久保田昌加(仮名)。

認知症患者が人を危めた場合

 新年早々に,「介護施設で殺人未遂‥職員の首絞めた入所者の女を逮捕」という愛知県の事件が報道されました。認知症対応型高齢者施設での事件で,逮捕されたのは83歳の女でした。これに対し,ネットでは「逮捕はいき過ぎ」「通報する施設も施設」などと逮捕を批判する書き込みもみられました。福祉の現場で,利用者が職員に暴言や怒鳴る,殴る蹴る噛みつくというような暴力行為に及ぶ事例がかなりあることは以前にも触れましたが(’18/10/17『人と向き合う仕事と暴力』),そうした現場で暴力と接している人は,冷静な受け止め方が多いようにも感じています。そして私は,早い時点で警察が動き,逮捕したことを支持する者として以下を記します。

 逮捕とはあくまで被疑者を拘束することなので,罪を確定させるまでの一過程を取り上げての批判は,事件が抱え持つ問題を見誤らせることにしかならないと考えます。事件が表面化させた現場の課題を冷静に受け止め,事件が持つ意味を考えることが必要だと思います。
 子どもを相手にする世界では,自らの役割を聖職と見,聖域との認識から物事の解決も自分らで進めることに重きを置く考え方が少なくないことを以前にも記しました(’18/12/12『クロ現もAERAも取り上げた!!』)。しかしそれは法に触れない範囲で許される話で,法に触れる行為に対しては,法に照らして調べる人たちに委ねなければならないはずです。難しい話ではありません。情とか身内の論理ではなく,法に従いましょうという話です。その境目をどこに置くのか。身体的傷害を負わされた被害者と,それをもたらした加害者が存在すれば傷害罪が成立します。そこからは法の範囲になるはずで,そこが基本と考えます。

 事件現場で何が起きたかが,まず明らかにされなければなりません。そして罪に該当する行為があった現場を客観的かつ具体的に調べることに関して,警察以上のことができる者はいないと思います。自分たちで解決しようとする人たちは,そこを見誤る場合があると考えます。そして,現場とそこを知る人を早急に把握するためにも,この作業はいち早く行なわれる必要があります。事件を具体的に明らかにすることこそが,再発防止の第一歩でもあるはずです。暴力事件が起きたらまず警察,そうあることが本来のあり方ですし,そうあることを望みます。
 今回の事件は,発生後間もなく警察に通報されたようですが,現場では通報の是非に対する逡巡があったものと想像しています。昨年5月にも群馬県特別養護老人ホームで87歳の男がハサミで女性介護士の胸を指して即日逮捕される事件がありました。ここでは現場に血が流れていますので,今回よりは決断が早かったのではないかと思います。いずれにしても,どんな場であっても,暴力があった場合は躊躇なく警察に通報するべきだと考えます。

 娘の事件に関して,課題として残されたのがそこにあります。これまで何度も記してきたことの繰り返しになりますが,2017年5月24日に神戸市の児童館で,小2男児が女性支援員の背後からバットで頭部を殴る事件を起こします。加害者と被害者が明らかに存在しています。しかしその現場に警察は呼ばれませんでした。以前から問題行動がみられた男児は保護されることもなく,世間に放逐されます(’18/11/05『児童はなぜ野放しにされたのか』)。児童館指定管理者である福祉法人は,「身内」の問題として矮小化して施設設置者の神戸市役所に報告し,神戸市役所もこの報告を鵜呑みにし,6月5日に事件の収束を図ったようです。事件として扱われていないことに疑問を感じた娘が,7月5日に被害届を提出したことで警察の捜査(触法調査)が始められますが,捜査初動が1カ月も遅れたことで,捜査もそれだけ難しいものになったと警察から聞いています。その後警察から児童相談所への通告が行なわれ,児童の触法行為(犯罪)が確認されたことになりますが,初動の遅れは多くの疑問を事件現場に残すことになりました。その後の経過に見られるのは,指定管理者と神戸市役所の,初動対応のまずさを糊塗する行動・言動ばかりで,保身に走っているようにしかみえません。後遺症に苦しむ被害者がいるにも関わらず,です。俯瞰的に整理するとそういうことです。

 少なくとも前段で紹介した老人施設においては,速やかに警察への通報が行なわれた分,事件の解明は早急に進むものと思います。どのように罪を問うのかでまた議論になる部分もあるかとは思いますが,本来的にはそうあるべきだと考えます。暴力があったらまず警察へ,それは加害者と被害者にどんな関係があったとしても,まずは取られるべき対応だと考えます。暴力に対して毅然とした社会であるためにも。